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「GearCity」プレイ日記:日本縛りプレイ 第9回

GearCity

欧米進出を縛った1900年日本スタートで第一次世界大戦後まで生き残るプレイの第9回。今回は2代目ツーリングカーの開発から。

前回:日本縛りプレイ 第8回


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前回の振り返り

前回は競合Day Hot社との競争が激化し、クーペを設計したところまででした。今回は2代目ツーリングカーの開発から。ルーチンワークの部分は前回まででおおむね説明が終わったので、今回からはどんどん先に進めていきます。

2代目ツーリングカーのエンジン選定(1910年2月)

2代目セダンが完成したため、続いて2代目ツーリングカーを開発します。まずはクーペと同じようにエンジンが充分な出力を持っているか確認しておきます

直列2気筒エンジンはツーリングカーでも出力不足(上の画像。警告こそないものの最高速度が低い)のようなので、クーペに続いて今回も直列3気筒エンジンを使用します

修繕(1910年2月)

ターンを送る前に、今月で前回の修繕から4年経過したので、再び全工場・全支店を修繕しておきます修繕後は工場の生産速度が最大になっているか忘れずに確認しましょう

2代目ツーリングカーの設計(1910年12月)

直列3気筒エンジンを使用して、いつもと同じように2代目ツーリングカーを設計します

第3回で平均年収との関係から推定材料費の目標を決めて車両のスライダーを調整するという考え方をご紹介しましたが、1910年になっても日本の平均年収は充分に上がっておらず(135ドル)、依然としてスライダーはすべて20のままです……。

クーペ開発完了と新車両開発(1911年2月~)

クーペと横浜工場が完成したため、工場の生産車両を組み替えてクーペを市場に投入します

続いてクーペ2+2を開発していきますギアボックスが完成から6年超経過しているため、ギアボックスを新たに設計。またエンジン出力と速度を確認した結果、今回も直列3気筒エンジンを使用することに。

いつものように、新車両開発と同時に新工場も建設していきます。今回は横浜に次いで人口の多い広島に建設。支店については横浜ですら収支がギリギリプラスという状態ですから、広島はおそらく赤字になってしまうと考えられます。ただ、工場はあるのに支店はないというのもなんだか気持ち悪いので、ついでに支店も建ててしまうことにします

社債償還(1911年12月)

第6回で1904年4月に起債した1912年満期の社債45万ドルの満期がやってきました。社債について注意が必要なのは、X年満期の社債は実際にはX-1年12月に償還されるという点です。今回は充分な手許現金があったためそのまま償還しましたが、資金繰りがカツカツの場合は事前に社債の借換をしておきましょう

今回の償還で当社は無借金経営状態になり、もはや倒産の可能性は大きく後退したと言えるでしょう。

クーペ2+2の設計(1911年12月)

直列3気筒エンジンを使用してクーペ2+2を設計します

Day Hot社のクーペ2+2はクーペと同じく評価が大幅に高いですが、価格が4倍近いので競争することは可能なはずです。

労働組合の要求(1912年1月)

労働組合から給付金の要求が送られてきました(バグなのか、ダイアログ上部の概要にはパーセンテージが表示されていませんが、その下の「要求に応える」の説明に正しい記載があります)。現状ではそもそも賃金が安く、その4%に満たない水準の給付金など知れています。ストライキされるほうが問題なので、要求を飲みます

3代目フェートンの開発(1912年2月~)

2代目ツーリングカーが完成し、早いものでフェートンの3代目を開発する時期になりました。フェートンでは直列2気筒エンジンが使えそうです。また、シャーシが完成から6年超となっていたので新型を設計

マーケティングの強化(1912年2月)

また、このあたりでマーケティング費用をもう少し増やしておきます。左右の矢印を使って(1クリックで5%増減)今回は予算を10%の位置に設定

研究の遅れ(1912年3月)

1911年12月に設計を始めたクーペ2+2の開発が6か月遅れる予定であるとの報告。工場の完成時期からズレてしまいますし、新型の市場投入時期が遅れるのは大きな打撃ですが、致し方ありません。

3代目フェートンの設計(1912年12月~)

直列2気筒エンジンを使って3代目フェートンを設計。少しずつ車両の材料費も下がり、日本の平均年収も上がってきましたが、まだスライダーを上げることができるほどではありません。

広島工場の完成(1913年2月)

広島工場は予定どおり完成したもののクーペ2+2は設計が終わっていないため、広島工場は現状もっとも価格が高くなっているセダンを生産させておきます。クーペ2+2が完成し次第、再び工場と生産車両の組み換えを行います。

2代目高級セダンと新車両の開発(1913年2月)

クーペ2+2はまだ完成していませんが、車両開発は通常のスケジュールどおり進めていきます。

まず高級セダンの2代目開発にあたり、直列3気筒エンジンを新たに設計。今回は出力6kWの設計です。

同時に新車両も開発していくことにします(本来なら3代目フェートンで開発プロジェクトを3本同時並行とする予定だったのですが、すっかり忘れていました……)。レポートで車両タイプの人気を確認し、今回はスポーツカーを開発することにします

先ほどの直列3気筒エンジンと同じ出力6kWの直列2気筒エンジンも設計。材料費が20ドルほど安く上がります。

最後に仙台に新工場を建設、同時に支店も出しておきます。ただし、こちらも広島と同じで利益が出ないどころか少し赤字になるので、工場は建てるけど支店は建てないのが気にならないなら支店を出す必要はないでしょう。

クーペ2+2の完成と海外企業の進出(1913年8月)

遅れて完成したクーペ2+2の生産を開始し、価格を設定して市場に投入します……が、東京に見慣れない競合他社がいました。

Hines-Albonson(おそらく史実のHaynes-Appersonのもじり)はアメリカの自動車メーカーのようです。当社は時価総額がおよそ1億ドルなので、時価総額ベースでは当社の約10倍の規模の会社です。

とはいえ、販売している車両はどれもDay Hot社以上に非常に高価で、日本市場の状況がわかっていないようです。日本市場においては敵ではないでしょう。

2代目高級セダンと新車両の設計(1913年12月)

完成したエンジンを使用して高級セダンとスポーツカーを設計。スポーツカーは車両タイプの評価が24と非常に低いので、パフォーマンス試験のスライダーを上げるなどちょっと手を加えてもいいかもしれません。

新たな競合の参入(1913年12月)

日本の自動車市場に新たな国産メーカーHeyho社が参入。Day Hot社とともに日本市場での有力な競争相手になる会社です。

社名はおそらく日野自動車のもじりなのでしょう。日野自動車の元になった東京瓦斯電気工業が東京瓦斯工業から商号変更した1913年を創業年としているものと思われます。

3代目セダンの開発(1914年2月)

3代目フェートンが完成し、続いて3代目セダンの開発を始めます。コンポーネントは既存のもので足りるため、12月から3代目セダンを設計します。

修繕(1914年2月)

ターンを送る前に、今月で1910年の修繕から4年経過したので、全工場・全支店を修繕しておきます修繕後は工場の生産速度が最大になっているか忘れずに確認しましょう

八月の砲声(1914年8月)

1914年8月、自動車の生産量と販売量がともに半減に近い下落を見せます。「限定的な紛争が業務を混乱させます」というメモも。

新聞を見ると、6月にサライェヴォにてオーストリア大公フランツ・フェルディナントが暗殺されたことを契機に欧州全体が戦争状態となった記事が載っています。第一次世界大戦の始まりです。

ワールドマップで「軍事衝突」マップモードを見ると、ヨーロッパの大部分が戦争状態にあることがわかります。日本も宣戦布告していますが、直接大戦を戦っているわけではないからか、「小規模な軍事衝突」の扱いです。小規模とはいえ自動車の生産も需要も半減なので、自動車メーカーとしては影響は甚大です。


次回は第一次世界大戦初期の対応から。いよいよ本プレイ日記も終盤です。

次回:日本縛りプレイ 第10回

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