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「Rule the Waves 3」プレイ日記:日本不拡大プレイ 第6回

Rule the Wavesシリーズ

海軍戦略・戦術シミュレーションゲーム「Rule the Waves 3」を日本で、領土を拡大しない縛りを設けて遊んでいくプレイ日記第6回。今回は1896年下半期、引き続きロシアとの戦争から。

前回:日本不拡大プレイ 第5回

第1回はこちら。

日本不拡大プレイ各回リストはこちら。


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1896年

7月

ロシアによる封鎖が再開。損傷を与えた戦艦の修理が終わって戦列に復帰したためということなのでしょうか。

7月初頭時点の北東アジア海域のロシア艦隊は戦艦8・装甲巡1・防護巡3・コルベット1。これまで撃沈してきたのは戦艦3・装甲巡4・防護巡1なので、10隻近くいたはず防護巡は多くが修理中か他海域に移動したのでしょう。

日本艦隊は戦艦5・装甲巡0(4隻すべて修理中)・防護巡3(2隻修理中)・コルベット4。ロシア艦隊との差がかなり縮まってきましたが、北東アジア海域にいるのがロシア海軍全軍ではありませんし、ロシアはさらに戦艦をもう4隻建造中(うち2隻は年内就役予定)と、それほど楽観視できる状態ではありません。

1896年7月時点の日本海軍

1896年7月時点の日本海軍の状況は以下のとおり。

  • 常備艦隊(計18隻)
    • 第1戦隊
      • 富士型戦艦「富士」
      • 富士型戦艦「八島」
      • 第2戦隊
        • 磐手型装甲巡洋艦「磐手」
        • 磐手型装甲巡洋艦「阿蘇」
        • 第3戦隊
          • 浅間型装甲巡洋艦「出雲」
        • 第2水雷戦隊
          • 八重山型防護巡洋艦「八重山」
          • 八重山型防護巡洋艦「千島」
      • 第1水雷戦隊
        • 和泉型防護巡洋艦「和泉」
        • 和泉型防護巡洋艦「浪速」
    • 戦艦「扶桑」
    • 富士型戦艦「敷島」
    • 富士型戦艦「初瀬」
    • 装甲巡洋艦「八雲」
    • 防護巡洋艦「畝傍」
    • 砲艦(コルベット)「金剛」
    • 砲艦「比叡」
    • 高雄型砲艦「高雄」
    • 高雄型砲艦「葛城」
  • 建造中(計22隻・すべてイギリスにて建造中)
    • 常磐型装甲巡洋艦「常磐」(建造中断中)
    • 常磐型装甲巡洋艦「吾妻」(建造中断中)
    • 春風型駆逐艦計20隻

富士型戦艦「敷島」「初瀬」は就役時に第1戦隊に入れたつもりがすっかり忘れていました……(第4回の編制表も修正しています)。今から追加すると戦隊の練度が下がるので、終戦までこのままの状態で行くことにします。

開戦前の妨害工作で爆沈させられたと思われる防護巡「千代田」も含めると、ロシア相手にこれまで装甲巡1・防護巡2を失っています。再び封鎖状態となっていることもあり、これ以上の戦力喪失は絶対に避けたいですが、その一方で敵戦力を減らさないと封鎖状態を解除できないというジレンマに陥っています。あと2か月で就役する駆逐艦に大きな期待をかけていますが、いったいどれほど有効なのか……日本海軍としてはロシア戦艦を何隻も撃沈できるゲームチェンジャーになってもらいたいところですが、実際に使ってみないとなんとも言えません。

春風型駆逐艦は20隻建造していますが、建造遅延が発生している艦が思ったより多く、予定どおり9月に就役するのはおよそ半分の11隻に留まる見通し。その後の訓練も考えると、戦力化に年内いっぱいかかることになりそうです。これまではなんとか勝ち続けてこれていますが、決定的な敗北を喫しないように下半期も慎重に戦っていくことにします。

ソコロフスキー湾砲撃(1896年7月26日14:30)

7月下旬、ナホトカ港東方のソコロフスキー湾沿岸に軍需物資が密かに集積されているという情報をつかんだ日本海軍は、この軍需物資集積所を破壊するため第2水雷戦隊の出撃を決定(……という脳内設定。目標がどういう施設なのかは説明されないので)。

哨戒中の敵部隊と遭遇することもなく第2水雷戦隊は目標海域に到達。目標に対して向かい風が吹き、さらに西方の4インチ砲台から嫌がらせのような射撃を受けはするものの、第2水雷戦隊は目標に近い沿岸部に堂々と停泊し、14:30頃から翌27日03:00頃まで、およそ12時間にわたって砲撃を実施。主砲弾が底をつき、副砲・補助砲も撃ち尽くすかというところでようやく目標施設の破壊判定が出ました。帰りも敵部隊との遭遇はなし。

敵艦艇との交戦はなく、目標施設を破壊したのみで海戦終了。目標達成により勝利となりました。

威信が1上がり、VP差は870。楽な仕事でした。

8月

日本の装甲巡2・防護巡2の修理が終わったことで戦力バランスが改善し、海上封鎖は解除されました。8月初頭のロシアの戦力は戦艦8・装甲巡2・防護巡5・コルベット1。

蔚山沖海戦(1896年8月22日12:00)

1896(明治29)年8月22日、朝鮮半島南部でロシア艦隊を発見。これに第3戦隊(装甲巡2)・第1水雷戦隊(防護巡2)が出動。

12:00頃に戦闘開始。事前情報どおり、敵戦力は装甲巡2・防護巡3と敵が優勢です。風は南西で、なるべく敵の南西に位置するように戦いますが、13:00頃に早くも装甲巡「阿蘇」が機関室に命中弾を受けて15ノットに速度低下。また、敵防護巡は装甲巡を援護しながら航行していますが、こちらの防護巡は遠くに離れたり接近したりを繰り返して装甲巡の援護を行えないまま海戦が進んでいきます。

17:00頃まで双方決定打がないままでしたが、この頃になると装甲巡艦列の先頭にいた「出雲」に損害が蓄積し、沈没しないうちに離脱を指示。しかし足の鈍った「阿蘇」1隻では敵装甲巡をどうにもできず、夜になると同時に戦闘から離脱して戦闘終了。

夕方に戦闘から離脱した「出雲」は結局港にたどり着く前に隔壁が破れて沈没。敵も「パーミャチ・アゾーヴァ」型が沈没していたようですが、艦の数が少ない日本にとって同数の喪失は負けに他なりません。海戦もロシアの勝利という判定。

VP差は-102とわずかですが、これまで戦闘の中心を担ってきた装甲巡を1隻失うのは非常に痛い損失です。

9月

待望の春風型駆逐艦10隻が就役。この世界では日本海軍が駆逐艦という艦種を世界で初めて生み出すこととなりました。

新編の第11~13水雷戦隊(10番台を駆逐艦による水雷戦隊ということにしています)に編入します。艦名は4隻ずつ、あるいは2隻ずつでなんとなく組になるように設定していますが、就役時期がばらけてしまったので艦名の組み合わせは考慮せず戦隊編成を行っています。第11水雷戦隊は第1戦隊、第12水雷戦隊は第2戦隊、第13水雷戦隊は第1水雷戦隊の支援(Support)に設定。

戦争中なので戦隊訓練も行うか悩みましたが、駆逐艦がWUの状態で戦隊訓練を行うことで駆逐艦の練度向上を妨げないか心配なので、試しに1個戦隊のみ戦隊訓練を行うことに。実は戦隊訓練を使うのは今回が初めてです。

春風型駆逐艦の残りの10隻のうち、来月就役予定は7隻。3隻は再来月の予定。また、予算に余裕が出たので常磐型装甲巡2隻の建造を再開しています。こちらの就役は1年以上先なので、今回の戦争には間に合わないでしょう。

第三次津軽海峡海戦(1896年9月11日16:00)

1896(明治29)年9月11日16:00、津軽海峡西部で海戦が発生。こちらの戦力は装甲巡1・防護巡4。

ロシア側は防護巡3。戦力ではこちらが相当有利でしたが、交戦開始直後に立て続けに装甲巡「磐手」が砲撃を浴びて速力が低下し、せっかくの戦力を生かせないままロシア防護巡に逃げられるという失態を再び演じています。

やはりロシア防護巡の練度が相当高まっているのを感じます。明らかにこちらが有利な状況でロシア防護巡からの砲撃が一方的に命中し続けるケースが明確に増えました。

こちらは「磐手」が中破。ロシア防護巡3隻は小破で、沈没艦はどちらもなし。日本の勝利にはなりましたが、精彩を欠いた戦いぶりです。

10月

春風型駆逐艦の残り10隻のうち5隻が就役。さらに2隻の工期が遅延しているようです。

第13水雷戦隊に2隻を補充、残り3隻で第14水雷戦隊を編成。第2水雷戦隊の支援担当とします。また、実験的に戦隊訓練をした第12水雷戦隊は今月も戦隊訓練を続けます。今のところ他の戦隊と同じく艦も戦隊も練度はPoorのままです。

陸軍の攻勢準備

陸軍が前線を突破する攻勢を準備するためにさらなる資源を必要としているが、首相になんと意見するかというイベント。陸軍が勝ってくれるなら儲けものなので、ここは「海軍は限られた期間なら少ない資源でもなんとかできます。陸軍にはより大きな勝利を果たしてもらいましょう」を選択。

ロシア海軍の海上支配

北海道周辺の海上をロシア艦隊が支配しているため、100VPを喪失。しかし日本全体が封鎖状態にあるわけではありません。

また、通商破壊を行おうとしていたロシアの装甲巡「グロモボーイ」が燃料不足で中立港に抑留。

10月初頭時点での北東アジア海域のロシア艦隊は、戦艦8・装甲巡1・防護巡3・コルベット1(修理中除く)。このほか、隣接海域である北部太平洋に防護巡3、中部太平洋に防護巡1が待機しています。本国からの増援かと思われたインド洋の戦艦2は数か月後の現在もインド洋に留まっており、北東アジア海域にやってくる気配はありません。

対する日本艦隊は戦艦5・装甲巡1・防護巡5・駆逐15・コルベット4(修理中除く、訓練中含む)。今はまだ戦艦5と装甲巡3(うち2隻修理中)で戦列を組んで敵戦艦戦列と殴り合うことは可能ですが、これ以上装甲巡洋艦を失うと戦列を組んでいる場面で駆逐艦を突撃させて敵戦艦を雷撃するという使い方は難しくなっていきます。

現在のVPはロシアの1.5倍ほどですが、依然として薄氷の勝利であることには変わりありません。

第二次ソコロフスキー湾砲撃(1896年10月20日夕方)

特に見どころがなく、問題なく目標を破壊して終わりました。

楽な戦いですが、これだけで威信が1上がって1,000点近いVPがもらえるのでおいしい戦いです。

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11月

春風型駆逐艦の残り5隻のうち4隻が就役。5番艦「朝風」はさらに1か月竣工延期となりました。

第14水雷戦隊に1隻補充し、残る3隻で第15水雷戦隊を編成、第1戦隊の支援担当とします。戦隊訓練を行っている第12水雷戦隊は、所属艦はすべて練度がFairになったものの、戦隊としてはPoorのまま。戦隊訓練を行っていない第11水雷戦隊も1隻Poorがいますが同様に艦はFair、戦隊はPoorなので、少なくとも就役直後に戦隊訓練を行っても意味はなさそうに見えます。念のため第12水雷戦隊は今月も戦隊訓練を割り当てておきます。

米仏同盟

米仏が同盟を締結。

アメリカは特に険悪な国家はないようですが、フランスは独伊と緊張度が高め。

米仏同盟とは無関係ですが、いつの間にかロシアは独伊といつ開戦してもおかしくない状況になっていたようです。どちらか一方でも対露戦に参戦してくれるとうれしいですが、どうなるか。

ロシア海軍の動向

先月に続いて、今月は通商破壊を行っていたロシア装甲巡「バヤーン」が燃料不足で自沈。

一方で、北東アジア海域では防護巡「ナデジダ」が日本商船を撃沈。

11月初頭時点での北東アジア海域のロシア艦隊は戦艦8・装甲巡1・防護巡7(前月比+4)・コルベット1。駆逐艦にとっては防護巡の中小口径砲は脅威なので、戦艦が出るような大海戦前に少しでも削りたいところ。

日本海海戦(正式名称:鬱陵島沖海戦)(1896年11月11日15:00)

1896(明治29)年11月11日、日本海軍はウラジオストク港から多数のロシア艦出港を感知。海軍元帥会議は直ちに常備艦隊司令長官・神山中将に迎撃を命じます。

神山司令長官は日本海軍の出動可能な全艦艇(戦艦5・装甲巡2・防護巡5)に出撃を命令。16:00頃には朝鮮半島東部でロシア艦隊と交戦を開始します。この時点でロシア艦隊は戦艦8と、北東アジア海域におけるロシア戦艦すべてが出撃していることが判明。さらに風は北西で、位置的には不利な状況から海戦は始まりました。

16:30頃、うまくロシア艦隊の西側を取ることに成功し、北に向かって同航戦を展開。しかし艦艇数では7対8、さらに日本側は2隻が戦艦ではなく装甲巡で砲門数も装甲も劣勢のため、右120度ほどへの回頭して同航戦を中断します。

右回頭後にはロシア戦艦戦列を後ろから追いかける形となり、ロシア戦艦最後尾のインペラートル・アレクサンドル2世型に砲撃を集中。

こうした動きを繰り返し、日も暮れてきた17:30頃にはロシア艦隊最後尾を半包囲するような形成となって接近戦を行います。しかしすぐに「初瀬」以下の艦列がついてこれなくなり、一旦南に退避することに。

しかしこうした日本艦隊の動きを見てロシア艦隊は混乱したのか、日が暮れる頃には艦列を崩し、18:30頃にはロシア戦艦部隊を再び半包囲するような格好になります。しかし日本戦艦部隊もうまく統制が取れず、また東からロシア装甲巡が現れたこともあり、十分な戦果は挙げられず。

このまま消耗戦かという雰囲気の中で転機となったのは19:00頃。日露双方が戦列を再形成して接近戦を行おうとしている中で、日本の戦艦部隊の後ろにいた防護巡「浪速」がロシア戦艦部隊に雷撃、ペルヴェネツ型戦艦に命中させます。同時にロシア戦艦部隊のうち前方の戦隊の1隻が、機関に命中弾があったのか大幅に速度低下を起こし、ロシア戦艦部隊全体の動きが一気に鈍ります。

この後は夜陰に紛れての混戦となり、2つのロシア戦艦戦隊を分断することに成功。こちらも装甲巡2隻と離ればなれになりますが、5隻の戦艦を率いてひとつのロシア戦艦戦隊(3隻)と優勢な状態で交戦を続けます。

とはいえそんな状態も長くは続かず、21:00すぎにはもうひとつのロシア戦艦戦隊とも遭遇。しかしそれまで砲撃戦を続けていたほうのロシア戦艦戦隊には相当な損害を与えており、2つのロシア戦艦戦隊の合流を防ぐべく両戦隊の間に突入した直後、戦艦「八島」がペルヴェネツ型戦艦に魚雷を命中させて撃破することに成功します。

その後しばらくはロシア戦艦部隊から落伍したインペラートル・アレクサンドル2世型を追撃しますが、22:30頃には東に向かう日本戦艦戦列に北からロシア戦艦が突入。こちらが雷撃されることを警戒して回避すべきところをとっさの判断に失敗してしまっていますが、戦艦「初瀬」が突入してきたレトヴィザン型戦艦に魚雷を命中させることに成功します。しかし致命傷にはならず、レトヴィザン型には逃げられてしまいました。

結局その後もインペラートル・アレクサンドル2世型を追撃し、23:30頃には撃破に成功。見える範囲でのロシア艦艇は巡洋艦を残すのみとなり、あとは残敵掃討をやって海戦終了かと気を抜きますが……。

画面中央上部のロシア戦艦は撃破したインペラートル・アレクサンドル2世型。

24:00頃、北西からロシア戦艦部隊が再び登場。また、防護巡「和泉」はこの時点までに機関に被弾してほぼ航行不能となっていましたがまだ沈没したわけではなく、日本戦艦部隊もまた十分戦えると判断して救援に向かいます。

北西の風の中ロシア戦艦部隊に西を取られていますが、再び同航戦を実施。今度は日本側が戦力的に有利ですが、今度はロシア側が同航戦を嫌がって再び混戦状態となります。

旗艦「富士」以下の主力部隊がロシア戦艦を追撃する中、完全に足の止まった防護巡「和泉」はパラーダ型防護巡に最期の雷撃を実施するも回避され、直後に弾薬も底をつきます。航行不能になっても戦い続けた「和泉」の戦いぶりは、軍歌となって称えられることでしょう。

その後、日本主力部隊はガングート型戦艦を追撃し、翌12日01:30すぎには旗艦「富士」が雷撃に成功。ガングート型戦艦を撃破することができました。

ガングート型戦艦を撃破して周囲に敵影はなくなったので、これでようやく海戦終了かと思いきや、防護巡「和泉」がいまだ健在で、しかもロシア戦艦部隊と交戦し始めたので、再び「和泉」救援に向かいます。

こちらも長い海戦で速度が落ちてきており、一時ロシア艦を見失うものの、04:00頃まで追撃を続けて集結していたロシア艦隊主力を発見することに成功。既に3隻のロシア戦艦を撃破している一方、日本側は戦艦5がいまだ健在で、補助艦を含めても優勢に戦えるはずです。

しかし結局ロシア艦隊は組織的に戦闘行動をとるわけではなく、練度の高い巡洋艦部隊が牽制する中で戦艦は四方八方に逃げ惑うばかりでした。そんな中で落伍したペルヴェネツ型戦艦を追撃しますが、夜闇と雨のせいで砲撃がうまく当たらず、また長い戦いで弾薬も不足しつつあり、なかなか撃破に至りません。

結局朝07:30頃になってもまだペルヴェネツ型戦艦の追撃を続けている中、旗艦「富士」の損害がいよいよ甚大なものとなってきたため、「富士」を退避させて旗艦を「八島」に移します。

10:00頃になってペルヴェネツ型戦艦をようやく撃破。これで4隻目ですが、まだロシア艦隊は近くにいるようなので、さらにこれを追撃します。勝てるときにはできるだけ大きく勝たなければなりません。

11:00頃には落伍したガングート型戦艦を追撃して攻撃を集中させますが、こちらも戦艦の多くが損傷しており、十全に戦闘力を発揮できなくなっています。その後13:00すぎには戦艦「敷島」が戦闘を離脱。背後にはロシア巡洋艦部隊がいたため、「敷島」離脱を援護するために南に転針したところで延長時間も使い果たし、ようやく海戦終了。実に22時間超にわたる大海戦でした。なお、終了直前にガングート型戦艦の動きが止まっており、浸水が進んで沈没したものと思われます。

海戦の結果、日本側の損害は防護巡「和泉」が沈没、戦艦「富士」「敷島」が大破。対する戦果として、ロシアの戦艦5隻を撃沈、戦艦1隻を大破させることに成功。戦争の趨勢を決定づける大勝利と言っていいでしょう。

東洋の新興国である日本が列強であるロシアの艦隊を打ち破ったこの海戦のニュースは、世界中を駆け巡るに違いありません。この戦果報告を受け取った海軍と政府首脳は開戦以来このときほど安堵したことはないでしょうし、この海戦の大本営発表を新聞で知った国民はお祭り騒ぎになったことでしょう。

威信が1上昇し、VP差は2,431。今回の戦争が日本の勝利で終わるであろうことを世界中に知らしめた海戦となりました。

海戦の正式名称は近隣の地理から「鬱陵島沖海戦」ですが、国民には新聞や文筆家たちがいつの間にか付けた「日本海海戦」という名称で知られることになるのでしょう。

この海戦では、日本海軍が事前に雷撃戦の特別訓練を行っていたためか、日本艦の雷撃がロシア戦艦に対して大きな損害を与えました。魚雷こそが新興海軍たる日本海軍の主力兵器と位置づけた海軍元帥会議の方針は、この海戦でまさにその正しさが鮮烈に立証されたのでした。

12月

大勝利に沸いたであろう日本とは対照的に、ロシア国内ではデモや騒乱が広がっているとの知らせ。

ロシア海軍の動向

海戦で大勝利したとはいえ、ロシア海軍すべてを撃滅できたわけではありません。先月から通商破壊活動を行っているロシア防護巡「ナデジダ」が日本商船を4隻撃沈。

12月初頭時点の北東アジア海域のロシア海軍で戦闘可能なものは防護巡5・コルベット1のみ。対する日本海軍は装甲巡2・防護巡1・駆逐20・コルベット4。修理中のものも考慮しても、完全に戦力バランスが逆転しました。

春風型駆逐艦の建造完了

春風型駆逐艦5番艦「朝風」が就役。予定より3か月遅れてようやくすべての春風型駆逐艦が就役しました。「朝風」は第15水雷戦隊に編入。

戦隊訓練を行っていた第12水雷戦隊については、戦隊訓練の効果がようやく出て戦隊の練度がFairに。それ以外の戦隊ではPoorのままです。これは所属艦すべての練度がFairになったから戦隊訓練の効果が出たということなのか、3か月分の戦隊訓練の効果がここでようやくわかるようになったということなのかは不明。とりあえず戦隊訓練をやることで所属艦の慣熟訓練(WU)が妨げられるわけではなさそうなので、所属艦の練度がFairで戦隊の練度Poorの戦隊で戦隊訓練を行うことにします。

VPと和平方針

本海戦後の全体のVP差は5,787。2倍弱ほどの優勢です。加えて、ロシア国内では国民の不満が高まっています。

その一方で、ロシア海軍が日本より劣勢になったということではありません。ロシア海軍は依然として日本の倍の戦艦を持つ強大な海軍であり、次の艦隊決戦も先月のような華々しい日本の勝利に終わるかはわかりません。日本がロシアより優勢なのはあくまで北東アジア海域においての話であるということを、よくよく念頭に置いておく必要があります。

しかし少なくとも北東アジア海域においては日本側が優勢であることは間違いないですし、これまでのように腰を低くしてロシアに和平を乞う必要は、当面の間はなくなったと言ってよさそうです。

宗谷海峡海戦(1897年1月1日09:00)

1897(明治30)年1月1日、宗谷海峡で海戦が発生。日本側戦力は装甲巡1・防護巡1・駆逐4。

出てきた敵は防護巡1のみでしたが、練度が非常に高いと思われるスヴェトラーナ型。何度か苦杯をなめさせられた相手で今回もあわや取り逃がすかと思いましたが、スヴェトラーナ型の艦長が高をくくったのか戦闘を挑んできたので、稚内西岸に追い詰めて無事に撃沈。

勝って当然の戦いだったものの、装甲巡と防護巡がしっかり命中弾を受けて小破しています。練度の上がった艦を敵にすると非常に厄介であることがわかります。

VP差は498。


11月の海戦はまさに一大決戦でしたが、海戦結果が表示されたときに思わずガッツポーズをしたくらいうれしい結果となりました。これまでは恐る恐るプレイせざるを得ませんでしたが、1897年以降は自身を持って戦いを続けることができそうです。次回は1897年、そろそろロシアとの講和も視野に入ってくる時期ですが、どうなるか。

次回:日本不拡大プレイ 第7回

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コメント

  1. お疲れ様です!「うおぉ魚雷最高!雷撃戦最高!」みたいなテンションになる、凄くドラマチックな海戦でした…!

    • お読みいただきありがとうございます! 11月の海戦は遊んでいる私としても本当に劇的な戦いでしたし、第1回で決めた魚雷中心の方針がうまくいって本当にほっとしました……。

  2. 素晴らしい決戦でした!
    やはり劣勢を覆すのは魚雷…、これから駆逐艦が加わってさらに盤石に

    • ありがとうございます!
      駆逐艦が加わってさらに盤石に……となればいいのですが、どうなるのかについては次回をお楽しみにしていただければうれしいです。

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