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「Crusader Kings II」プレイリポート:ブリタニア帝国建国記 第23回

その他

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「Crusader Kings II」プレイリポート:ブリタニア帝国建国記 第23回は、Godwyn5世の孫Godwyn6世の治世。ブリタニア帝国創設まであと10州、ブリタニア帝国のde jure領域平定まではあと23州です。

前回:ブリタニア帝国建国記 第22回

2015/11/5 カテゴリーを変更。

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後継者の誕生

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1152年2月、第一子Elenが誕生。27歳にして初めての子供です。このまま子供ができないのではと心配していたので、本当にホッとしました。

そしてこのElen、’頑強(Strong)’持ちという恵まれた子供です。’病気がちの乳児(Sickly infant)’がついているのが少し心配ですが……。

第7回十字軍

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1155年1月、教皇Constantine2世はギリシャへの十字軍発動を宣言。28年前の第6回では無残な敗北を喫しましたが、今回は成功させることができるのでしょうか(参加しないので他人事)。

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1162年4月、教皇Sergius2世は十字軍の失敗を宣言。7年にわたった第7回十字軍は失敗に終わってしまいました。

国内問題

East Anglia公爵

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1157年2月、East Anglia公爵Fysil4世が、Lloegyr(イングランド)王位への請求権を捏造していたことが発覚。East Anglia公爵の野望を叩き潰すため捕えようとしますが、これに失敗。反乱の兵を挙げられてしまいます。

同年8月、East Anglia公爵の反乱を鎮圧。国が豊かになって兵力が大きくなると攻城戦で躊躇なく強襲を使えるので、短時間で戦争にカタをつけられます。だいたい守備兵の10倍くらいの兵力があれば、強襲でも軽微な損害で攻略することができます。

Strathclyde公爵の挑戦

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1159年2月、Strathclyde公爵Dyfnwalは、Aeron伯爵Dewiから領地Aeronを没収します。Aeron伯爵DewiはBrythoniad王Godwyn6世の友人。そして強欲にも自らの所領を広げようというその態度。これは王に対する挑戦と言っても過言ではありません。

というわけで、Strathclyde公爵からAeronを召し上げましょう。請求権があるわけではないので封臣全員の態度にマイナス補正がついてしまいますが、確認したところ問題はなさそうです。

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1160年2月、Strathclyde公爵に領地召し上げを通告。公爵は受け入れます。新たなAeron伯爵には、元のAeron伯爵であるDewiを任命。

あと少しでBritannia皇帝位創設というところなので、余計な仕事を増やさないでもらいたいものです。

Kent公爵

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1162年10月、今度はKent公爵CasnarがLloegyr王位への請求権を捏造していたことが発覚。そして今回も逮捕に失敗。反乱を起こされます。

1164年3月、Kent公爵の反乱を鎮圧。Kent公爵は所領が豊かで守備兵が多く、うかつに強襲を使えないので長引きました。

スコットランド制圧

マン島征服

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1158年1月、先代からの宿敵であるマン島領主Fedach2世に対して、Nofant伯爵の持つマン島への請求権を主張して宣戦布告。

あまりにも宰相が請求権を捏造してこないため、配下の持っている請求権を利用して外征戦争を行うことに。ゲーム内の時間では、請求権を捏造するのにかかる時間は以前と変わってはいないはずですが、もう400年近くやっているので重くなり、ゲーム内時間の進みが遅くてプレイしている私が焦れてきてしまいました。

配下の請求権を使って宣戦布告すると、勝利したときにには当然獲得した領地はその配下のものになりますが、そこは国王の権力で召し上げしまえばよいのです。

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というわけで、1159年2月、勝利してNofant伯爵RhysがYnys Manaw(マン島)を獲得。こうなれば、後は国内問題なのでどうとでもなります。

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1166年3月、封臣の態度の関係で請求権を捏造していたのでずいぶんかかりましたが、Ynys Manawを召し上げ、弟DrystanにYnys Manawを与えます。

北方への進出

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1161年9月、ブリテン島北西部に位置するSuðreyjar伯爵Ninianに対して宣戦布告。ここを制圧すれば、スコットランドで4つ目の公爵領を平らげたことになります。

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1162年4月、勝利してSuðreyjar改めYnysoedd Heleddを獲得、弟のGwydolinを封じます。同時にYnysoedd Heledd公爵位も創設し、Gwydolinに与えることに。

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これでスコットランドは残り2公爵領。スコットランド王位も創設できるようにもなりましたので、1162年9月、Alban(スコットランド)王位を創設。これで、Brythoniad王はブリテン島の3王位すべてを保持することになります。

Alban王位創設前には、公爵位と同様、3つ以上の保有は封臣の態度にマイナスがつくのではと思っていたのですが、王位についてはそういうものはないようです。もしかして、皇帝位を創設すると3つ以上でマイナスがつくようになったりするのでしょうかね?

Albany公爵領平定

Alban王位創設により、スコットランド全域に対してde jureによる請求権が発生します。これを活用して、Albanの中核となるAlbany公爵領の平定を目指しましょう。

Ystrad Iwerddon(Strathearn)

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まずはStrathearnから攻略していきます。1168年1月、Strathearn伯爵に対して宣戦布告。常備軍だけで8,000の兵力があるので、直轄領からの徴兵軍を出さずに常備軍のみで戦うことにします。大国ならではの戦の仕方ですね。

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なんて余裕をぶっこいていると、同年11月、初代Gododdin公爵の庶子の一人が私兵を率いて襲撃してきました。その数およそ15,000。けっこうな兵力ですが、1万はYorkの攻略、5,000は各地を襲撃と、せっかくの大兵力を分割してしまいます。

対するこちらの徴兵軍は12,000。分割された軍を各個撃破するには充分な兵力です。まず5,000をChesterにて攻撃し、Derbyに逃れた残党を全滅させます。その後、Chesterで5,000の軍勢と合流しようとしてきていた1万を迎撃。ほぼ同数だったので少し心配でしたが、なんとか撃破。残党をPengwernで全滅させ、私兵を率いてきたTudwalを捕縛します。

捕らえたTudwalは領外に追放とします。処刑することもできますが、”親族殺し(Kinslayer)”がついてしまいます(庶子だったので、もしかするとつかないかも)し、臣下の態度も悪化します。追放すると、臣下の態度の変化はなく、Tudwalの持っていた金500が手に入りますので、こちらのほうがよいでしょう。

ちょうど同じ頃、Strathearn伯爵との戦争も終結。Strathearn改めYstrad Iwerddon伯爵がBrythoniad王国に組み込まれます。もちろん領地は召し上げますが、停戦協定が切れないと召し上げられないようなので、停戦協定が失効する10年後まで待つことに。請求権があればその前に召し上げられると思いますので、宰相には請求権捏造を命じておくことにしましょう。

Gwidd(Fife)

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続いて1169年1月、今度はAlbany公爵領南東部のFife獲得のため、Gowrie伯爵Enuidaigに対して宣戦布告。6月、勝利してFife改めGwiddを獲得。

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Gwidd伯爵には、いとこのCaswallonを任命します。Albany公爵領は4州なので、これで半分を制圧できたことになります。

また、Albany公爵領の北に位置するGwrturio公爵領も4州ですが、こちらは4州ともウェールズ人領主が支配しており、外交で封臣化することが可能です(もちろん、後でGwynedd家出身者と領主を交代させますが)。

つまり、Britannia皇帝位創設まではさほど遠くないところまで来ているということになります。あと少し。がんばって行きましょう!


というところで、今回はここまで。次回もGodwyn5世の孫Godwyn6世の治世です。

次回:ブリタニア帝国建国記 第24回

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