「Crusader Kings II」プレイリポート:ブリタニア帝国建国記 第22回

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「Crusader Kings II」プレイリポート:ブリタニア帝国建国記 第22回は、前回に引き続き、Gwriad2世の子Godwyn5世の治世です。

前回:ブリタニア帝国建国記 第21回

2015/11/5 カテゴリーを変更。

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2つ目のスコットランド公爵領

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1138年3月、先代から引き継いだマン島領主との戦争に勝利し、Alt Clutを獲得。

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Alt Clut伯爵と、Alt Clutを含むStrathclyde公爵に、次男Dyfnwalを任命します。これでスコットランドの2つ目の公爵領も平定完了。

ブリテン島最後のゲルマン人領主

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1139年7月、かつてのDanmarkの征服者たちの末裔であるSkotland王Hraneに対して、聖戦を宣言。Hraneはブリテン最後のNorse人領主にして、最後のゲルマン人領主でもあります。

ブリテン島から忌々しいゲルマン人を駆逐するときがやってきたのです!

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同年10月、Skotland王Hraneを破ってArgyll改めEpiddantを獲得。Epiddant伯爵には孫(長女Denisの子)Gwerstanを任命します。

敗れたHraneはSkotland王位を捨てて、ノルウェーに逃れました。ブリテン島に残る領主たちはピクト人やウェールズ人のみ。Brythoniad王国は、遂にゲルマン人たちをブリテン島から追い払ったのです。

Wessex公爵からの領地召し上げ

1141年3月、Warwick伯爵Eudaf2世はWessex公爵位、Somerset伯爵位を継承します。これはEudaf2世の父がWessex公爵(Somerset伯爵)、母がWarwick伯爵だったためにこんな相続になりました。

封臣の態度に余裕がありますし、スコットランドの征服を急ぎたいので、ここは請求権なしでWessex公爵からWarwickを剥奪してしまいましょう。

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しかし、Wessex公爵はこれに反発。反乱を起こします。

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1142年7月、反乱を鎮圧し、Warwickを剥奪。Mercia公爵の家系の出であるCynfelynを、新たにWarwick伯爵に任命します。

王太子Gwriadの死

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1148年1月、王太子Gwriadが病死してしまいます。享年40歳。

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新たに法定推定相続人となったのは、Gwriadの長男Godwyn。陰謀能力がすこし高いくらいで、外交能力・管理能力が低いのはちょっといただけません。

国王Godwyn5世の死

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1148年11月、王太子の死に続いて、Brythoniad王Godwyn5世が逝去。10年間の治世でした。

新たに即位したGodwyn6世は既に24歳ですが、まだ子供がいません。能力値といい、子どもといい、Godwyn6世は無事にその治世を乗りきれるのでしょうか……。

1148年の世界情勢

さて、ここらでゲーム開始から400年弱経過した現在の世界情勢を見てみることにしましょう。

北ヨーロッパ

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中世ヨーロッパを震撼させたスカンディナヴィアのノース人たちは、統一に向けた動きが全然なく、領地もモザイク状になっています。王国になっているのはスウェーデン、ノルウェー、デンマークですが、スウェーデン王はデーン人、ノルウェー王はサクソン人、デンマーク王はリトアニア人と、わけのわからない状態に。

また、東欧では相変わらずリトアニアとポーランドが大きな勢力を誇っています。特にポーランドは政権が安定しているようで、ポーランド王位創設以来、一貫してChoscisko家が王位を継いでいっています。Choscisko家は、我がGwynedd家と同じくらい栄えていると言ってもよいでしょう。

そして、我らがブリテン島・アイルランド島。Brythoniad王国以外に大きな勢力は既になく、このAARの目標である「Britannia皇帝位創設・Britannia帝国のde jure領を平定」を達成するのもあとわずかでしょう。

南ヨーロッパ~中東

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フランスは、かつて存在していたFrance王国を飲み込んだMiddle Franciaが大部分をおさえています。第5回十字軍で北フランス~フリジアを席巻したFrandersは、現在では沿岸部の領地しか保持できていません。

その東のドイツでは、Bavariaが大きく栄え、北ドイツにも進出していきそうです。かつてItalia王国が統一していたイタリア半島は、王国が崩壊して群雄割拠の状態。Bavariaの東のPannnoniaは、マジャル人やハンガリー人の国ではなく、ボヘミア人の国になっています。Pannonia王家もボヘミア王家と同じPremyslid家。

イスラム勢力に敗れてコンスタンティノープルを追われたビザンツ帝国は、現在は小アジアのSozopolisというところに都を置いていますが、勢力のほとんどは黒海の北とイタリア半島の南に追いやられたと言ってよいでしょう。

ビザンツ帝国を下したHalilid帝国は、ペルシャの南半分を手中に収めるなど、いまだ衰える兆しがありません。また、イベリア半島を制圧した後ウマイヤ朝も盤石の体勢。キリスト教世界は東西の南側から強力なイスラム勢力の突き上げを食らっている状態と言えるでしょう。

画像にはしていませんが、インドは相変わらずの「天竺三国志」状態です。ヒンドゥー教勢力が現在は強め。

こうしてみると、いくら大国と言っても、ブリテン島の中だけで争っている我がBrythoniad王国はなんと小さな国なのでしょうか……。


というところで、今回は少し短いですがここまで。第23回は、Godwyn5世の孫Godwyn6世の治世です。

次回:ブリタニア帝国建国記 第23回