「Victoria 3」新DLC「Pivot of Empire」発売は、Steamの表記によれば日本時間21日18時の予定です。

「Crusader Kings II」プレイ日記:キエフ年代記 第7回

その他

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「Crusader Kings II」プレイ日記:キエフ年代記 第7回は、引き続きヴィシャタ王の治世。今回からv2.6.3となります。

前回:キエフ年代記 第6回


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857年

封建制

ck2-aarkiev7-feudalv2.6.2で言われていた部族から封建制へ移行するときのバグが2.6.3では修正されたということなので、さっそく封建制へ移行。

組織化されたスラヴ信仰の権威を背景に、ヴィシャタは西方のフランク王国に倣って階層的な支配体制を作り始めた。領主が治める城市とスラヴの神殿、そして都市へ各集落が分離を始め、それぞれの役割が分かれていくのは、この頃が始まりであった。

858年

ペルーン戦士団の創設

ck2-aarkiev7-perun未だ影も形もないロシア文化の最初の一人かもしれないペルーン戦士団長・ダヴィド。

ヴィシャタが王となって41年目、前年のスラヴ信仰の改革はルーシのみならず周辺のスラヴ諸国にも広がりを見せた。

ルーシ出身の富裕な名士・ダヴィドはこうした新スラヴ信仰運動に熱を上げた一人で、ポーランドの大都市・クラクフの近郊に城砦を設け、腕に覚えがある者たちを集めてみずから「ペルーン戦士団」を名乗った。

この「ペルーン戦士団」はその後数年で団員数1万にも達し、デミドに代わって大主教となったヴラティスラフとヴィシャタは彼らを公に聖戦士団としてスラヴ教会に取り込んだ。

ヤロヴィトの祭典

ck2-aarkiev7-festival部族制の時代にはお金が貴重だが、封建制に移行すると山のようにお金が入ってくるようになり、年に一度の金50の出費もまったく問題なくなる。

夏には豊穣の神・ヤロヴィトを祀る祭典がキエフで大々的に開催された。ヴィシャタはこれを王権の強化のために利用し、すべての封臣にこの祭典に参加するように触れを出した。

ルーシの封臣たちが一同に会したこの祭典によって、キエフの商人たちは大層儲けたという。

862年

ドルジーナの創設

ck2-aarkiev7-druzhinaRetinue Capに余裕ができていたのをすっかり忘れていたので、ここで常備軍を創設。封建制に移行するとできることが急に増える。

ヴィシャタが王となって45年目、ヴィシャタは領内の屈強な勇士たちを集め、親衛隊「ドルジーナ」を創設した。ルーシ王に忠誠を誓い、常日頃から軍役を務める、ルーシ初の常備軍の誕生であった。

865年

分割相続の廃止

ck2-aarkiev7-succession分割相続から選挙制単独相続へ。最終的には長子相続に行きたい。

ヴィシャタが王となって48年目、ヴィシャタはルーシ王位における分割相続を正式に廃止した。ヴィシャタがルーシ王となった後、ルーシは叔父たちによって分割され、相次いで戦乱が起こった。名実ともにルーシの王となるまでに実に長い戦いが必要だったことがヴィシャタの頭にあったのだろう。

甥・ロスティスラフの反乱

ck2-aarkiev7-revolt2封建制に移行した今、臣下の反乱は怖くもなんともなくなった。

秋、ルーシ南端のオルヴィア伯爵を務めていた甥・ロスティスラフが、ルーシ国内の諸侯とともに王権を弱体化させ、評議会への権限移譲を求めて反乱の兵を挙げた。

反乱は3年にも及んだが、ヴィシャタはこれを鎮圧し、反乱に参加した諸侯を処分した。

868年

健康の不安

ck2-aarkiev7-infirmやることはやりきったので、後は消化試合というところ。治世で危ない場面が何度かあったが、うまく切り抜けることができた。

ヴィシャタが王となって51年目、ヴィシャタは病床に寝たきりになった。齢68となり、在位も50年を超えていた。

だが、ヴィシャタはスラヴ信仰の改革と分割相続の廃止という大事業を成し遂げた。既に王としての大きな責務を果たし、次の王にルーシを引き継ぐことだけがヴィシャタの仕事となっていたのである。

870年

快活王ヴィシャタの死

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ヴィシャタが王となって53年目の春、ルーシ王国第2代「快活王」ヴィシャタは70歳で死んだ。53年にも及ぶ長い治世で常に反乱に悩まされ続けたが、都であるキエフはビザンツ帝国の都・コンスタンティノープルに比されるほどの繁栄ぶりであった。

ck2-aarkiev7-succession33代目・イェレメイ。既婚だが、子供は女子2人のみ。そして妻のStewardshipが低い……。

ヴィシャタは生前から、次男・イリヤの長男でブリャンスク伯爵のイェレメイを後継者とし、自らに不測の事態があったときに備えて摂政に任じてもいた。ヴィシャタの死後、イェレメイの即位式がつつがなく行われ、相続は無事に終わった。

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ヴィシャタは戦いの中を駆け抜け、ルーシ王国の基礎を作り上げた。その功績は永く語り継がれることであろう!

ヴィシャタの遺した雷神ペルーンの首飾りは、イェレメイの手に渡った。


次回:キエフ年代記 第8回

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