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「Crusader Kings II」プレイリポート:ブリタニア帝国建国記 第21回

その他

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「Crusader Kings II」プレイリポート:ブリタニア帝国建国記 第21回は、前回に引き続き、Godwyn4世の子Gwriad2世の治世です。なお、この回から2.3.6にアップデートされていますが、EU4へのコンバーターが修正されたのみで、内容に変更はありません。

前回:ブリタニア帝国建国記 第20回

2015/11/5 カテゴリーを変更。

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国内問題の解決(力技で)

Essex公爵からのBedford剥奪

あまりにも宰相の請求権捏造が遅いので、Bedfordの請求権を得ないまま剥奪を通告します。請求権がないのに強制的に領地を剥奪すると、他の封臣の態度にもマイナス補正が付くのですが、既にGwriad2世も50歳を超え、いまさら封臣の態度が悪くなったところで大して困ることもありません。

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1116年11月、Essex公爵Nowyはこれを承諾。Bedford伯爵には、先代のEssex公爵にBedfordを剥奪されたErclwfを再度任命します。

Lincoln伯爵からのDerby剥奪

続いて、York公爵配下のLincoln伯爵が、Rheged公爵配下の領地Derbyを継承してしまっていたため、これを解決します。

York公爵にLincoln伯爵を直臣とする旨を通告、次にLincoln伯爵にDerbyを剥奪する旨を通告します。これはどちらも平和裏に承諾してくれました。

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Derby伯爵には、いとこAddienaの婿Caidを任命。Addienaは父Godwyn4世の末妹Aeronwenの末娘、CaidはNorfolk伯爵の家系の出です。

これで国内問題についてはカタがつきました。スコットランドの征服を急ぎましょう。

第6回十字軍

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1118年1月、教皇Lucius3世はギリシャへの十字軍発動を宣言。

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バルカン半島に目をやると、なんと栄光のビザンツ帝国は黒海の北に追いやられ、千年の都コンスタンティノープルはイスラム勢力の手に落ちていました。

小アジアとバルカン半島を支配しているHalilid朝は、アッバス朝の衰退後にアラブ世界で勢力を拡大した国です。ここで、イスラム帝国の盛衰を少し見ていくことにしましょう。

イスラム帝国の興亡

アラブ世界は11世紀の初めまで、長らくアッバス朝が強大な勢力を誇っていました。しかし11世紀初頭になって、突如、アッバス朝イスラム帝国は崩壊してしまいました。

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チュニジアの一シャイフ(伯爵格)の息子にすぎなかったGhalibは、母がアッバス朝の皇女であったため、アッバス朝の帝位継承権を主張して兵を挙げました。時のカリフにしてGhalibのいとこであったSadiq3世を破り、Ghalibは一躍カリフまでのぼりつめたのでした。

しかし、Ghalibの開いたMSaken朝イスラム帝国は長続きしませんでした。Ghalibの孫Aghlabの代になって反乱が起こりました。11世紀末のことでした。

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この反乱を主導したのがHalilid朝初代カリフHalilなのですが、このHalil、親が設定されておらず、出自がまったく謎に包まれています。農民反乱のリーダーというわけでもなさそうですし、いったいどういう人物なのかわかりません。ただ、反乱は成功し、MSaken朝が倒れ、Halilid朝が開かれました。

失敗

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1124年3月、Lucius3世から十字軍を引き継いだ教皇Agapetus2世は、十字軍の失敗を宣言します。

今回は、王権が最大まで強化されている中での十字軍だったので、参戦する公爵はいませんでした。絶対的王権の「臣下の戦争禁止」という特性は、十字軍にもちゃんと適応されるのですね。

Rheged公爵のWestmorland剥奪

1118年2月、今度はRheged公爵’獅子公’Elisedd3世がEssex公爵のような事件を起こします。まだ8歳であったWestmorland伯爵Caidから、Rheged公爵がWestmorlandを召し上げてしまったのです。

Rheged公爵に対しても正義の鉄槌を下してやらなければなりませんが、2回も根拠なく臣下の領地を召し上げたため、さすがに3回目はまずそうです。

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……と思っていたら、かの獅子公は亡くなる直前に自分の弟をWestmorland伯爵に任命していました。領地を奪われた元伯爵Caidには気の毒ですが、封臣は一人一州という条件は満たされたので、もう解決ということにしましょう。

王太子Godwynの懇願

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1118年4月、王太子Godwynが、カラトラバ騎士団に入って異教徒と戦いたいと申し出てきました。

騎士団入りを認めてしまうと、後継者はスコットランドの伯爵に任命した次男Arthfoddwということになってしまいますが、能力の点から長男に継がせたいところ。ここはGodwynに涙を飲んでもらいましょう。

スコットランドへの出征

マン島領主との戦い

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1126年6月、スコットランド南部を支配するマン島領主Fedachに対して宣戦を布告します。宰相がかなり以前に請求権を捏造してきていたのですが、マン島領主の戦争が終わるまで待っていたら、次々に戦争を始めている様子だったので、「いいかげんにせい!」とばかりに戦争開始。

この時点でBrythoniad軍はおよそ18,000。貧しいプロヴィンスでは消耗してしまうくらいの大軍になっていたので、軍を二分し、一方を州の攻略に、もう一方を野戦軍の撃滅に回します。

包囲軍はマン島攻略に、野戦軍は敵主力の待つアイルランドへ進撃します。マン島は包囲軍による強襲でまもなく陥落、アイルランドへ向かった野戦軍も、ちょっと危ない場面はありましたが、敵主力を全滅させることに成功。

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1127年4月、戦争に勝利してNofantを獲得。Nofant伯爵にはNeithonを任命。Lincoln伯爵の家系の出身です。

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次いで1130年10月、ようやくマン島領主が戦争を止めたので、Gododdin公爵位を剥奪。Lleuddiniawn伯爵に封じていた次男ArthfoddwをGododdin公爵に任命します。

ウェールズ人のAeron

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さらに1134年5月、ブリテン島北端を地盤とするウェールズ人領主Brychanに宣戦布告。Aeronの獲得を目指します。

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1134年10月、勝利してAeronを獲得。Aeron伯爵には四男Dewiを任命します。

異端の波

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1132年5月、首都州Gwyneddに異端信仰が蔓延します。以前、猛威を振るっていたロラード派ではなく、カタリ派が広まりました。首都州でこのようなことになるのは由々しき事態です。

が、1137年9月、宮廷司祭Cyndeyrnは5年がかりでGwyneddの改宗に成功。反乱もありませんでした。

Gwriad2世の死

1137年8月、再度マン島領主に宣戦布告。どんどんスコットランドの征服を進めていきますが……。

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1138年3月、マン島領主との2度目の戦争がもうすぐこちらの勝利で終わるという頃、Gwriad大王は72歳で世を去りました。53年もの長い治世でした。

このGwriad2世、在位が長かったために威信点が1万点を超え、’The Great’の異名もついていました。

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跡を継いだGodwyn5世は即位時には病気がちで、しかも優秀とは言いがたい能力。彼の治世の間に、王国が困難にぶち当たらなければよいのですが……。


というところで、今回はここまで。第22回は、Gwriad2世の息子Godwyn5世の治世です。

次回:ブリタニア帝国建国記 第22回

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