欧米進出を縛った1900年日本スタートで第一次世界大戦後まで生き残るプレイの第8回。今回は高級セダン開発の続きから。
前回:日本縛りプレイ 第7回
前回の振り返り
前回は2代目フェートンと並行して高級セダンの開発を始め、1907年恐慌に見舞われたところまででした。今回は高級セダン開発の続きからやっていきます。
高級セダンの設計(1907年12月)
これまでの新車両設計と同じ要領で高級セダンを設計します。エンジンは高級セダン専用に新設計した直列3気筒エンジンを使用。
競合他社の参入(1907年12月)
平均所得の低さから長らく当社1社の独占状態だった日本市場に、遂に競合企業が現れました。Day Hot社は大阪本社の新興企業で、1908年以降急速に業容を拡大していき、日本市場では手ごわいライバルとなります。
「GearCity」で登場する競合メーカーはどれも実際の企業名をもじった社名がついていますが、Day Hot社はおそらくダイハツのもじりと思われます。ダイハツの前身の発動機製造株式会社は1907年創業で、タイミングも一致します。
2代目フェートンの完成(1908年2月)
1906年から開発していた2代目フェートンが完成。初代フェートンの在庫を廃棄して生産を終了し、初代フェートンを生産していた工場で2代目フェートンの生産を開始します。前世代の車両と後継車両を両方販売すると確かに売上自体は後継車両のみを売るよりも増えるのですが、それならば後継車両開発時に異なるグレード(基本は元の車両と同じだがスライダーなどを微調整した車両。本プレイ日記では扱いません)の車両を出したほうが効果的なので、後継車両が完成したら前世代の車両は生産終了とするのがよいでしょう。
廃棄する在庫ももちろん少ないほうがいいので、後継車両が完成する前に少し値下げして生産終了までになるべく在庫が捌けるようにします。もちろん値下げ幅を大きくしなければ在庫が捌けない場合は在庫を廃棄したほうが業績がよくなる場合もあり、値下げ幅と在庫が売れることによる利益の釣り合いを考える必要があります……が、正直そういう計算は面倒なので、基本的には生産終了時になるべく在庫を残さないようにするというくらいの方針でいいように思います。
なお、「在庫を廃棄して生産を終了し、初代フェートンを生産していた工場で後継車両の生産を開始」という一連の操作は、後継車両設計時のフルモデルチェンジの画面右下の「完成したら、生産を終了し廃棄、古いモデルの置き換えを行います。」のチェックボックスにチェックを入れておくとすべて自動でやってくれます。
2代目セダンの開発(1908年2月~)
2代目フェートン完成に続いて、今度は2代目セダンの開発を進めていきます。
高級セダン向けの直列3気筒エンジンは材料費が高いため、直列2気筒のより安価なエンジンを設計することにします。このとき、高級セダン開発の際に考えたように、プロトタイプを見て最高速度が問題ない水準にあるか常に確認します。
直列3気筒エンジンは1908年時点で178ドルであるのに対し、今回設計した直列2気筒エンジンは139ドル。性能面では少し劣りますが、40ドル下がるのは大きな価格差です。
新エンジンが完成したら、1908年12月には2代目セダンを設計します。
高級セダンの完成(1909年2月)
高級セダンとそれに合わせて建設していた京都工場が完成。生産台数が一番多い京都工場では需要がもっとも多いフェートンを生産し、高級セダンは需要がもっとも小さいことが予想されるので、一番古い東京工場で生産していきます。価格も適当に設定して売れ行きを見ながら調整していきます。
次の新車両開発(1909年2月~)
高級セダンが完成したので、レポートを確認して次はクーペを開発していくことにします。
搭載エンジンの選定
1911年完成予定のクーペに使うコンポーネントの年次はどれも問題ないはずですが、ここで2代目セダン開発時に設計した直列2気筒エンジンの出力がクーペの速度の最低ラインと比較して充分であるかを確認しておきましょう。直列2気筒エンジンの再設計画面でクーペのプロトタイプを見てみます。
クーペはどちらかと言うとスポーツタイプの車種であるため、速度の最低ラインが高めに設定されています。実際、直列2気筒エンジンでは速度の最低ラインを下回る場合があるようです。余裕も含めて考えると、エンジン出力は3kWは必要でしょう。では3kWの出力がある高級セダン用の直列3気筒エンジンはどうでしょうか。
ちょっと心配ではありますが、充分な速度を確保できそうです。3kWの直列2気筒エンジンを作るよりも、既存の直列3気筒エンジンを流用するほうが材料費が安く上がることも確認できるはずです。クーペは直列3気筒エンジンを搭載することにしましょう。
工場建設
クーペはコンポーネントを新たに開発する必要性はなさそうですが、新車両なので工場を建設しておきます。今回は横浜で、これで支店があるすべての都市に工場も持つことになります。
Day Hot社との競争(1909年3月)
1909年3月に入って当社の販売台数が急減してしまいました。しかし以前のように価格釣り上げペナルティで販売台数急減というわけではありません。
どうやらDay Hot社が本社のある大阪から東京・名古屋・京都に進出し、さらに当社が車両を販売しているフェートン・セダン・ツーリングカーの販売を開始しています。販売台数が急減している原因はこれでしょう。
Day Hot社の車両は当社の車両よりもやや評価が高いですが、販売価格は非常に高価です。当社は質より量を売っていく販売戦略でDay Hot社に対抗していくこととして、当座は値下げで対応します。
Day Hot社は競争相手としては強力です。当社はプレイ日記の縛りから少なくとも第一次世界大戦終結まで海外進出することはありませんが、Day Hot社はすぐに欧米に進出して経営を安定させていきます。Day Hot社との熾烈な競争を生き残ることができるかが当面の課題となるでしょう。
マーケティング
他社との競争を戦う上で重要になるのがマーケティングです。マーケティングによって自社車両に対する需要を大きくし、他社の販売シェアを侵食することができます。
ワールドマップから都市ごと・メディアごとに細かく予算を設定することもできるのですが、私の場合は面倒なので、メガメニューから全世界(上の画像左上の「プリメイド」を「ワールド」に設定)で使用するマーケティング費用のみを設定しています。
今回はまだ最初ですし、あまり高額なマーケティング費用をかけても足が出てしまうので、全都市で7000ドル程度の予算に設定しました。予算バーの矢印をクリックするとスライダーがこの場合は5%ずつ移動するので、それを使用して最大額の5%に設定している状態です。マーケティング費用の最大額は毎年(毎月?)徐々に増加していくため、適用ボタンの下のチェックボックスにチェックを入れておくと、その増加分に合わせて予算も増えていく(つまり現在の最大額に対する割合を維持する)ようにすることができます。
クーペの設計(1909年12月)
直列3気筒エンジンを使用して、いつもと同じようにクーペを設計します。
ワールドマップの大阪から「競合他社」をクリックしてDay Hot社のクーペを探してみると、同社は既にクーペを販売しているようです。性能面ではやはりDay Hot社のほうがかなり高いですが、当社のクーペには他の車種と同じように価格競争力はあるはずです。
次回は2代目セダンの完成と2代目ツーリングカーの開発から。ルーチンワークの部分は既にほぼ説明し終わっているため、本プレイ日記の進行がどんどん早くなっていきます。
次回:日本縛りプレイ 第9回
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