「Victoria 2」ミニプレイ日記:フィンランド編 第4回は、第二次普仏戦争でスウェーデンに向けて陸軍を進発させるところから。
前回:フィンランド編 第3回
2016/1/11 第5回(最終回)へのリンクを追加。
第二次普仏戦争
ストックホルム攻略
スウェーデン艦隊がオーランド海にいてトゥルク~オーランド諸島~ウプサラと移動できないため、結局北回りでストックホルムへ。
スウェーデン陸軍の主力は既にデンマーク陸軍によって撃破されていますが、こちらは陸軍技術をまったく研究しておらず、兵力で優勢でも負ける可能性がとても高いので、残党に当たらないかビクビクしながら1868年12月、ストックホルムを占領。
分離講和
その後、ウプサラの占領にかかりますが、年が明けて1869年1月、スウェーデンはイギリスとの間で分離講和に同意、第二次普仏戦争から退場します。
一方、プロイセンに目をやると、派手な負けっぷり。そもそもアルザス・ロレーヌが欲しいと言ってプロイセンが始めた戦争でしたが、カウンターを食らってラインラントを取られてしまいそうなレベルです。オーストリアではいくらか占領地を作るなど健闘していますが、負けるのは時間の問題でしょう。
しばらく経って、プロイセンの西半分とブリテン島南東部が占領されても戦争が終わらないのでなんだろうと思ったら、スウェーデンと分離講和したからなのか戦勝点ではまだプラスとなっていました。
プロイセンの単独講和
そして1869年10月、なんとプロイセンがフランスとの単独講和を受諾。プロイセンに対して恩があったから絶望的な戦でも参戦したというのに、これは重大な背信行為です!
フランスとの単独講和を模索しますが、どうやら受け入れてはくれない模様。デンマークを占領中のフランス軍67,000が気になりますが、後はもう早くイギリスが降伏してくれることを祈るのみです。
背後からの一撃
ブリテン島のイギリス陸軍がフランス相手に意外に頑張ってしまい、「早く負けろ!」と念を送っていたのですが、いつの間にかロシアがフランスに軍事通行権を与えたようで、東からフランス軍が襲来。ヘルシンキの戦いでカヤンデル将軍は戦死、フィンランド軍は壊滅します。
勢力圏内の国の敵国に軍事通行権を与えるとは、ロシアもプロイセンと並んで信用ならない国のようです。
敗戦
1870年9月、イギリスがようやく講和を受諾し、第二次普仏戦争は終結しました。フィンランドは軍を失っただけで済みましたが、戦死したフィンランド軍将兵の命は永遠に失われました。
「大国に頼り切ることは、大国に逆らうのと同じくらい危険なことだ」というマンネルヘイム元帥の言葉が思い出される戦争でした。
対スウェーデンの観点からプロイセン・ロシアとの友好関係は確実に必要ですが、フィンランドがいつまでも「誠実で可憐な小国」でいることはもはやないでしょう。これまでは超軽武装・経済優先路線で来ましたが、少しずつ重武装路線に政策を転換していくことにします。
工業化の遅れ
1875年になっても、フィンランドには工場が建っていません。フィンランド人党では政府が工場を建設することができないため、かなり深刻な問題です。
かなり早い段階から資本家の育成に励んできており、上流階級の直接税も0%にしているのですが、そもそも資本家には収入がない様子。どうしたもんでしょう……。
普墺戦争勃発
1878年8月、全ドイツの覇権をかけてプロイセン対オーストリアの戦争が勃発。フィンランドにも参戦要請が届きます。
プロイセン側は同盟国に世界最大の大国イギリスがいますが、オーストリア側はイタリア諸都市のみで、実質的に一国での戦争です。また、デンマーク・ノルウェーも参戦しており、この二国との友好関係を失うのは得策ではありません。さらに、前回はこれで痛い目を見ましたが、今回も戦場からは遠く離れています。仮にロシアが軍事通行権を与えたとしても、フィンランドに主力を送り込む余裕があるとは思えません。
というわけで、プロイセン側に立って参戦することにします。
戦争序盤の推移
オーストリアは既に動員を終えているのに対し、プロイセンは戦争を仕掛けた側であるにもかかわらず、動員が終わっていません。その結果、兵力的に劣勢となっています。
また、イタリア諸都市の軍はスイスを抜けてプロイセンの西側から進軍しており、規模は小さいながらも二正面作戦になっているという状況。どうしてプロイセンはこうも戦略的な立ち回りが下手なのか……。
プロイセンの苦戦
1879年、オーストリア側として参戦し、西部戦線を形成していたバーデンが分離講和を受諾し、戦線離脱。しかしながら、首都ベルリンを攻略されるなど、プロイセンはかなり苦戦しています。
これ、もしかして勝てないんじゃ……。
二度目の裏切り
1780年3月、プロイセンはオーストリアと突然の単独講和に応じます。第二次普仏戦争に続き、二度目の背信行為です。
これを見たイギリスは、まもなくオーストリアと講和条約を締結。普墺戦争は終結しました。
プロイセンとの同盟は見直しを考えたほうがいいかもしれません……。
準列強入り
1883年2月、表現主義の芸術を立て続けに発明し、一気に威信点を獲得。その結果、フィンランドの国際的地位は準列強にまで押し上げられます。
といっても、工業点はゼロですし、軍事点も8個連隊からなる1個軍を擁するのみなので、威信点を失えばたちまち転げ落ちてしまう危うい地位と言えましょう。
上からの工業化
さて、準列強にもなって工場のひとつもないというのはさすがに問題です。せめて大量に産出する材木を加工して輸出するくらいはしたいところ。事務員による研究点ボーナスも欲しいですね。
というわけで、ゲーム開始からちょうど50年の節目となる1886年までに工場が建たないようであれば、与党に社会民主党(Sosiaalidemokraatit)を指名して、「上からの工業化」を推進していくことにします。
第三次普仏戦争勃発
1884年4月、プロイセンはアルザス・ロレーヌの獲得を目指して三たびフランスに宣戦布告。フィンランドに参戦要請が届きます。
正直なところ、あまり参戦したくありませんが、今回はオーストリアがいませんので二正面作戦にはならずに済みそうですし、プロイセンの動員の速さによっては勝ち目はあるように思えます。
それよりも重要なのはスウェーデンが参戦しているという点ですが、今回もデンマークが参戦していますし、フィンランド軍も最新技術ではないにしろ、質量ともに大きく改善しているため、なんとかなりそうといえばなりそうです。
というわけで、参戦してみましょう。
オーランド海海戦
5月、オーランド海を封鎖していたスウェーデン艦隊7隻をプロイセン艦隊14隻が攻撃。スウェーデン艦隊5隻を撃沈することに成功します。
その後、それでもオーランド海を封鎖しようとするスウェーデン艦隊を、プロイセン艦隊は執拗に攻撃。最終的にスウェーデン艦隊はストックホルムに引きこもってしまいます。
電撃講和
10月、フィンランド軍の再編成も終わり、オーランド海の制海権もこちらのものとなって、さあ出撃というところで、プロイセンとフランスの間で講和が成立。プロイセンがアルザス・ロレーヌ地方を獲得します。プロイセンにとっては、三度に渡る戦争の結果としてプロイセン軍人の血で獲得した土地と言えましょう。
なんにせよ、おかしな結果にならずに済んで、ほっと胸をなでおろしました。
内乱
戦争が無事に終わってホッとしていたのもつかの間、国内で汎スカンディナヴィア主義者の反乱が起こります。
敵としては大したことはありませんが、戦争中に蜂起されなくて助かりました。
プロイセン・バイエルン戦争勃発
内乱も鎮圧してやっと平和が来たと思いきや、年が明けて1885年1月、プロイセン側がドイツの覇権をかけて宣戦布告し、プロイセン・バイエルン戦争が勃発。その少し前にオーストリアがやはりドイツの覇権をかけてバイエルンに宣戦布告しているため、プロイセンとオーストリアの間でバイエルン獲得競争が起こっているようです。
さて、当然フィンランドにも参戦要請が届いていますが、さてどうするか……。
というところで今回はここまで。
このプレイ日記は「ミニ」のつもりだったのですが、どうやらそうはいかないようです。
それにしても、プロイセンは戦争好きすぎませんか……。さすがは「軍隊が国家を持っている」国……。
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