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「Crusader Kings II」プレイリポート:ブリタニア帝国建国記 第5回

その他

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「Crusader Kings II」プレイリポート”ブリタニア帝国建国記”第5回は、第3回、第4回に引き続き、Cynanの長女Denisの治世。在位40年以上の長期政権です。

前回:ブリタニア帝国建国記 第4回

2015/11/5 カテゴリーを変更。

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次男Dyfnarthの投獄

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PictlandとDanmarkの戦争に参戦したすぐ後、密偵長のDenbigh市長Caidから、Dyfed伯爵として封じた次男DyfnarthがGwynedd小王位の請求権を捏造しているとの報告が。

即座にDyfnarthを投獄します。いくら息子でも、秩序を乱すような行いは許されないのです(本当は保釈金を取りたいからです)。

Brythoniad女王即位

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823年9月3日、DenisはBrochafael2世よりBrythoniad王を剥奪、Brythoniad女王として即位しました。23年前からの野望(Ambition)が、ここに達成されたのでした。

ここで「Brython(ブリソン)」という単語について説明しておきますと、「ブリソン」というのは古代ローマがブリテン島に入ってくる前に定住していたケルト系民族のことを指す語なのだそうで、これにはウェールズ人、コーンウォール人などが含まれるそうな。ゲーム中のWales王国のde jure領にはウェールズの他にコーンウォール地方も含まれるので、この領域を統治する王国名としては妥当なような気がします。

なお、「ウェールズ」という名前は、アングロ・サクソン人がブリソン人のことを呼んだ「よそ者、外国人」という意味の”wealas”、あるいは”wealh”が由来なのだそうです。地名としてはコーンウォールは含まないので、王国名としてはやはり”Brythoniad”が相応しいでしょう。

DanmarkのPictland征服

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826年4月、前回(第4回)から続いていたPictlandとDanmarkの戦争に遂に終止符が打たれます。

戦争の結果、Pictlandは全土がDanmarkに占領され、Pictland王位は消滅。ブリテン島北部でもゲルマン人による征服が進みました。実を言うと、ブリテン島とアイルランド島のほとんどの諸侯がPictland側についたので、戦力的には互角以上でしたが、足並みがまったく揃わないままバラバラにDanmark軍と当たってしまったので総崩れになり、そのまま敗北というみじめな負け方(一兵たりとも出さなかった私が言える話ではありませんが)。

なんと悪逆な奴らなのでしょうか! 我らBrythoniad王国は一刻も早く力をつけ、ゲルマン人を北海に突き落とさなければなりません!

Observatory(天文台)建設

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828年7月、Denisは天文台の建設を命じます。

これはどうやら「フォーカス」で”学問(Scholarship)”を選ぶと出てくるDicisionのようです。

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しばらくしてこんなイベントが。これだけ?

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いやいや、その後こんなイベントも発生。ここで上の選択肢を選びました。すると……。

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こんなイベントが発生し、軍事技術点(Military Technology Point)30点が入りました。おそらくこういうイベントが断続的に発生するのでしょう。

孫Clydogの成人

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829年12月、順当に行けば二代先のBrythoniad王、孫のClydogが成人。教育は祖母Denis、父Edernと同じ”偉大なる神学者”。

能力値は、残念としか言いようがありません。王国の将来が危ぶまれます。

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Clydogの妻には、南イタリアのBari伯Dauferの三女Theodaradaを選びました。もっといい能力値の候補者はいたのですが、皆20代半ばと年がいっていたので、能力値が低くても若いTheodaradaを選択。

実はClydogの成人時に結婚させるのを忘れていて、成人から1年経ってからの結婚でした。

ウェールズ統一

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830年8月、Denisはウェールズ統一の兵を挙げます。Gwent伯爵にまで転落した旧Brythoniad王家には酷ですが、歴史の舞台から退場してもらうことにしましょう。

もはや傭兵を雇う必要はありません。直轄軍で事足ります。一撃でGwent伯爵の野戦軍を葬り、Gwentの首都Caerwentを包囲・陥落させ、続いてGwentの都市Newportも攻略しました。司教区Monmouthを包囲中に、Gwent伯爵から降伏の申し入れ。

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これを受諾し、Gwent伯爵領を併合。ウェールズの統一は成りました。

旧Gwent伯爵の宮廷は行き場がなかったのか、そのままBrythoniad女王の宮廷に併合され、大量の人員が宮廷に流れ込むことに。これで人材の層も厚くなります。

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獲得したGwent伯爵領には四男Meirionを封じ、Deheubarth公爵に封じていた次男Dyfnarth(保釈金を払って釈放されていた)の配下とします。

ローマからの手紙

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「イエスの教えを拒否して研究をしていると聞いている。しかしこれは中傷であって、そのようなことはしていないと思うが、もし事実ならば残念だ」というローマ教皇Leo3世からのお手紙。一番上の選択肢「教皇は私の事業に口を出すな!」を選択。

その後、Denisは偉大な事実に行き着きました。

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地球は回転していて、太陽の周りを回っている。「地動説」に至ったのでした。一番上の選択肢「この発見を公表しなければならぬ!」を選択。廷臣に軒並み嫌われますが、科学的事実の前には大したことではありません(Denisももう60歳なので、今更廷臣に嫌われたところで大した問題ではないのです)。

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その結果、女王Denisには”the Scholar”の異名がつきました。

コーンウォールの征服

837年3月、Diplomacy31の名宰相CaidがCornwallの請求権捏造に成功。既に請求権を捏造してあったDevonと合わせて、Cornwall公爵に宣戦布告。

Cornwall公爵軍はおよそ1,200。野戦に勝つのは問題ありませんが、その後の包囲戦に不安があったので、いつものSwiss Bandを雇用し、コーンウォール地方へ進軍します。

Cornwallで無事に敵野戦軍を撃破し、包囲戦へ移行するも、本国のGwynedd伯爵領がヴァイキング800に襲撃されているとの報が。本国では封臣たちの徴兵軍をヴァイキング撃退の任に当てましたが、連戦連敗。包囲戦はSwiss Bandに任せ、女王の直轄軍は本国に引き返します。

直轄軍と徴兵軍合わせて1,600でようやくヴァイキングを撃退し、直轄軍は再び包囲戦の続くCornwallへ。忙しい動きです。

直轄軍がCornwallに戻る前にSwiss Bandが首都Tintagel(かの有名なアーサー王出生の地とされる)を攻略、続いて都市Bodminの包囲にかかりましたが、兵力差が小さく少し危険な様相。実はヴァイキングを始末した段階で、「後は傭兵だけでケリがつくのでは」と思っていましたが、直轄軍を差し戻して正解でした。

戦争開始から1年4ヶ月後の838年7月、Cornwallの都市Bodminが陥落し……。

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コーンウォール征服戦争は我がBrythoniadの勝利に終わりました。これでde jure領のすべてを平定したことになります。この時女王Denisは65歳。在位60年目に入っていました。長い戦いでした。

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この戦争で新たに2プロヴィンスを獲得し、Cornwallには孫のBrwynを封じました。

Denisの死

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846年2月26日、68年在位し、Gwynedd小王家を一躍Brythoniad王家へと押し上げ、更にはBrythoniad王国のde jure領を平らげた偉大なる女王Denisが死去。

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王位は長男Edernが継ぎましたが、既に55歳。Edernの長男Clydogは5年前に流行した腸チフスで死亡しており、後継者はCornwall公爵の次男Brwynとなっています。


というところで今回はここまで。3回にわたったDenisの治世が終わり、次回からはDenisの息子Edernの治世に入ります。

次回:ブリタニア帝国建国記 第6回

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