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「Crusader Kings II」プレイリポート:ブリタニア帝国建国記 第4回

その他

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「Crusader Kings II」プレイリポート”ブリタニア帝国建国記”第4回は、第3回に引き続き、Cynanの長女Denisの治世。

前回:ブリタニア帝国建国記 第3回

2015/11/5 カテゴリーを変更。

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雪辱戦

Brythoniad王Gwriadに対して雪辱の機会をうかがっていたDenisですが、794年7月、遂にチャンスが巡ってきました。

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Brythoniad王Gwriadに対して、次男のBerthgwynが私兵を集めて反旗を翻したのでした。

見れば、Brythoniad王の同盟相手であるSurrey伯爵は、Hwicce小王(Denisの夫の実家)相手に戦争中で兵力をこちらに振り向ける余裕はない様子。また、もう一方の強力な同盟相手であるPictland王については、Denisにはその兵力を迎え撃てるだけの傭兵を揃える資金力がありました。

機は熟しました。今こそ、Brythoniad王に奪われた我らの領地を奪い返す時が来たのです!

 

戦争は実に4年に及びました。

Gwynedd小王国が宣戦を布告したちょうどその頃、Brythoniad王の軍勢は次男のBerthgwynの軍勢に敗れて大きく数を減らしていました。前回と同様にSwiss Bandを雇用したGwyneddの軍勢は、一撃でBrythoniad王の軍勢を全滅させ、Brythoniad王が本拠を置くDyfed伯爵領全土を占領。更にBrythoniad王の重臣Powys公爵の領地Ternyllwgも占領します。

そして戦争が4年目に入った798年2月。Pictland王の軍勢2,200がウェールズの地に現れ、手始めにTernyllwgの奪回を始めました。

Gwynedd軍は首府Aberffrawに戻り、軍を再編成します(ゲーム的には、直轄領から徴兵して戦っている間にも直轄領の兵力は回復するので、一度直轄軍を解散して再度徴兵することで野戦や包囲戦で減った手持ちの直轄軍の兵力を回復させました)。

そして、Denisの征服事業を2度も挫折させた宿敵Pictland王と、Ternyllwgの地で相見えます。Gwynedd軍およそ1,900に対し、Pictland軍はおよそ2,200。

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結果はPictland王Tarlaを捕虜とする大勝でした。これでBrythoniad王との戦争も大勢が決しました。

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勝利。Pengwernを奪回し、Ternyllwgを新たに獲得しました。請求権を捏造した天才摂政Idwallonも、草葉の陰で喜んでいることでしょう。

子孫繁栄

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Pictland王の軍勢を打ち破った数日後、Denisは第二子、息子のDyfnarthを出産しました。相続法は既に長子相続なので継承権はありませんが、Gwyneddの家の立派な支えになって欲しいものです。

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更にその翌年の799年12月、第三子Rhiainfelt誕生。

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その2年後の801年7月、第四子Aeronwen、第五子Cynan誕生。双子でした。

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804年9月、第六子Meirion誕生。子沢山でまことに結構。これも”好色”のなせる業でしょうか。

ヴァイキングの襲来

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戦争が終わり、蓄財と請求権の捏造に励んでいたDenis率いるGwynedd小王国ですが、8世紀末頃からたびたび現れるヴァイキングへの対応に苦しめられます。

画像では約700名の軍勢で襲撃されていますが、たまに1,000を超える軍勢が襲撃してくることもあり、非常うっとうしい存在です。負けることはそうそうありませんが、襲撃のたびに直轄領の兵力を消耗するので、元帥は常に軍隊の訓練に当てることになります。

長男Edernの成人

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806年12月、長男Edernが遂に成人。

「教育」は母Denisと同じく”偉大なる神学者”。更に”勇敢(Brave)”、”節制(Temperate)”、”忍耐(Patient)”と、次代の王たるに相応しい性格。相変わらずの陰謀能力の低さが気になりますが、最重要の外交能力と管理能力は2ケタなので、能力も充分。

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Edernの妻にはVeniceの有力者Antenoreo家の娘Agneseを選びました。近場では手頃な娘がいなかったので、わざわざ遠くから嫁をもらうことに。

初孫の誕生

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812年5月、待望の孫DenisとEssylltの双子が誕生。

夫Haroldの死

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813年1月30日、孫の誕生から1年も経たないうちに、夫Haroldが41歳で死去。

この時、Denisももう40歳。子供を望むのは難しい歳ですし、ちょうどいい男性もいないので、後添えはもらわずに独身のままいくことにします。

次々代の後継者誕生

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同じ年の12月、Edernに息子Clydogが生まれました。次々代の後継者として期待。

Brythoniad王国領への進攻

815年6月、再度Brythoniad王国へ宣戦布告。今回は、Brythoniad王国の首都があるDyfed(Gwyneddの南西)と、平和の間に剥奪したPowys公爵のde jure領であるErgyng(ウェールズ最東端)の獲得を大義名分としています。

今回もSwiss Bandを雇用。初期費用が150と安い上、維持費用も初期費用150で雇える傭兵の中では安いのです。

Swiss Bandを加えたGwynedd軍約2,600はBrythoniad王国領へ進撃、Brythoniad王の軍勢を撃破し、更にBrythoniad王の要請で参戦してきたEast Anglia小王とUlmhumhain(アイルランド)首長の軍勢を撃破。Brythoniadの首都Dinefwrを攻略します。

その後、東の大国Mercia(イングランド中部~北部)が参戦してくるも、内乱によってこちらに軍を差し向ける余裕はなかった模様。

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3年に及ぶ戦争は、危なげなくこちらの勝利に終わりました。

戦争途中で宰相がDyfedの東隣のプロヴィンスGlamorganの請求権も捏造してきたため、合計3プロヴィンスを獲得。Brythoniad王国は、もはや1プロヴィンスしか領有しない名前だけの王国に過ぎません。

Denisの再婚と戦後処理

ここで、Denisが領有できるプロヴィンス数を2つ上回ってしまいました。領地を配る息子は長男を除いて3人いますが、3人目がまだ成人していないため、再婚を考えます。

長男に領地を配らないのは、孫の養育をプレイヤーが行いたいためです。実際のところ、領地を与えてもプレイヤーが孫の養育を行うことはできます。しかし領地を与えてしまうと孫が養育可能になる6歳になった時に通知されないので、少し不便なのです。

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再婚相手は、アイルランドのDubhlinn首長Brangenの四男Fergal。Denisは46歳なので、30歳差の超年の差婚です(まあ、Denisは好色持ちですし……)。この結婚によって、領有できる領地が1つ増えました。

Fergalとの結婚は領地管理のための管理能力ボーナスのみが目的だったのですが、軍事能力(Martial)も高いので、指揮官としても期待しています。

Denisは7つのプロヴィンスを領有し、領有可能上限を2つ超過している状態なので、今回獲得したDyfedを次男Dyfnarth、Glamorganを三男Cynanに与えました。

参戦要請

822年2月、長女Rhiainfeltが嫁いだWest Franciaから、続いて三男Cynanの嫁Saraの実家であるPictland(!)から参戦要請が来ました。どちらも直接関わらなくて済みそうなので、軽い気持ちで承諾すると……。

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こんな状態に。Pictlandはともかく、West Franciaは派手に負けています。というか、戦争相手が多すぎます。

結局West Franciaはそれから3ヶ月してさっさと敗北を認めて和睦。しかしながら、Danmarkと戦うPictlandの戦いは長引きそうです。


というところで、今回はここまで。次回もDenisの治世です。Denisは5歳で小王位を継いでから、ここまで40年以上在位しています。長いですねえ。

次回:ブリタニア帝国建国記 第5回

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