今回から、中世を舞台とした歴史シミュレーションゲーム「Crusader Kings II」のプレイ日記を連載します。769年のキエフ大首長から1444年までの完走を目指します。
以前書いたAAR(プレイリポート)「ブリタニア帝国建国記」はこちら。
概要
Paradox Interactive社の歴史シミュレーションゲーム「Crusader Kings II」のプレイ日記です。
“The Reaper’s Due” が発売され、バージョン2.6.2もリリース(まだベータ版ですが)されて久しぶりにCK2プレイ欲に火がついたので、プレイ日記を書こうと思い立ったという次第です。
西からはキリスト教勢力の十字軍が、南からはイスラム教勢力の聖戦士が、東からはモンゴルの弓騎兵が襲い来る文明の十字路で、果たして無事に歴史の荒波を乗り切れるのか。ご期待いただければうれしいです。
本プレイ日記は、ゲームの解説ではなく、お話として読めるように書いていくつもりです。書くにあたって以下のAARを特に参考にしています。
- Unhistory Channel 152 – パラドゲー記録(すべてのAAR)
- ゲーム廃兵院:世界はフランスに身をゆだねる
- Crusader Kings Wiki:パレオロゴス家
- Crusader Kings2 Wiki:フレイヤの末裔
プレイ環境とプレイ目標
- バージョン:2.6.2Beta
- DLC:”The Reaper’s Due” までのDLCすべて
- MOD:なし
- シナリオ:769年 “Charlemagne”
- 開始キャラクター:キエフ大首長フセヴォロド(ルーラーデザイナーにて作成)
- プレイ目標:宗教、文化を変更しないまま(宗教改革やロシア文化への変更は可)1444年まで完走する
ゲームルールで特に変更した部分は以下のとおり。
- モンゴルの侵攻:ランダム(ゲームスタートから50年目以降のランダムなタイミングで出現。今回のゲームでは819年以降)
- アステカの侵攻:オフ
- テュルクの征服者:ランダム(サブクティギーン、セルジューク、ティムールは広い時間的範囲で出現)
- 超常現象イベント:オフ
769年
キエフの女大首長
キエフ大首長ドブラヴァ。野心持ちにしてはイマイチな能力値。
ドブラヴァが大首長となって19年目、大首長ドブラヴァは評議会において突如として退位することを宣言した。キエフや近郊諸都市の代表者からなる評議会はたちまち紛糾したが、ドブラヴァが次の大首長として立てるのが出納役人であったフセヴォロドと聞き、評議会はあっさり賛同に回った。
本プレイ日記最初の主人公フセヴォロド。強すぎず弱すぎず……。
新たにキエフ大首長となったフセヴォロドは、醜悪な相貌とひどい吃音癖、そして臆病で内気で怠惰な性根という、およそ人を率いるに向かない人物だった。博識で頭の回転が速く、出納役人としては優秀だったが、近隣の他部族との交渉や、南に蟠踞するマジャル人との争いを先導できるとはとても考えられぬ。吃音を馬鹿にされるのでめったに口を開かず、モウチャーン(Movchan、「黙る人」の意)と呼ばれるほどだったのだ。
そんな人物を大首長とすることに評議会が賛成したのは、ひとえに「引き続きキエフを自分たちのいいようにできる」という打算ゆえだった。
キエフにルーシの地の有力者が集う政権が興ったとき、評議会はトゥーロフの有力者の生まれたばかりの遺児・ドブラヴァを神輿として、ルーシの地のまつりごとを19年に渡って差配し続けてきたのである。神輿が若い女から小役人に変わったところで、そこまで大きな意味はない。
ドブラヴァとの結婚で威信がマイナスになるも、常に金欠で悩む部族プレイなのでお金をもらえるほうを選択。
だがその夜、フセヴォロド大首長とドブラヴァの婚儀が急ぎ執り行われた。事情をよく知らないキエフの住民たちは「ようやくドブラヴァ大首長が結婚した!」と祝福した(同時に、相手が醜い小役人であることに憐れみを持った)。キエフを守る1,200の戦士たちもまたこの婚姻を祝福したが、ドブラヴァは戦士たちに直接、自らと夫・フセヴォロドへの忠誠を誓わせた。
大慌てに慌てたのは評議会の面々だった。キエフの戦士たちがまるごとドブラヴァとフセヴォロドに忠誠を誓い、神輿が一晩のうちに力をつけたのである。評議員たちは政庁に急ぎ集まり善後策を協議したが、時既に遅し。戦士団を率いたドブラヴァとフセヴォロドにより、評議員たちは公に彼らに対して臣下の礼を取らされたのだった。
かくして、野心あふれる元大首長ドブラヴァはキエフの実権を握ったが、ことはそれでは終わらなかった。
大首長フセヴォロド
それぞれ現状で最高の能力をもつ廷臣を選任。有力者となっている二人の司祭は能力値が悪すぎて外さざるを得なかった。宰相ツェンイェはパラド社に大きく貢献したファンの名前なのだとか。天才・魅力的持ち。
ドブラヴァが実権を握り、新たにお飾りの大首長となったフセヴォロドであったが、評議会の人選についてはドブラヴァに譲らなかった。宰相に、雷神ペルーンに愛されたと評される弱冠18歳の天才ツェンイェを任命し、マジャル族との友好に努めることとした。妻ドブラヴァは密偵長、さらには摂政候補者として指名することで、彼女に権力と信頼を与えた。
一方で、戦士長、家令、占者はこれまでそれぞれの職を務めた者たちを再任した。この3名はドブラヴァに対して敵意を持つ一方で、大首長フセヴォロドに対する評価を改めた。大首長フセヴォロドはこうして旧勢力を取り込み、ゆっくりと力をつけていった。
770年
マジャル族との戦い
コルスンはキエフ大首長のde jure領。
フセヴォロドが大首長となって2年目、セヴェリャーネ族、ヴォルィニャーネ族、そして東の有力遊牧民族であるハザール族と、3つの敵と同時に争っていたマジャル族に対して、フセヴォロドはコルスンの領有を宣言して宣戦布告。既にマジャル族の戦士たちはセヴェリャーネ族とヴォルィニャーネ族によって散々に打ちのめされた後であり、他人の獲物を横からさらうような戦だった。
フセヴォロドはキエフ近郊の寺院・ユリエフの司祭に兵1,000を任せた。彼はドブラヴァによって評議会を追放された人物だったが、フセヴォロドはこの戦で花を持たせてやろうと考えたのだった。
ハイエナのような宣戦布告により、マジャル族から領地をもぎ取る。コルスンは遊牧地だったので、継承までに建造物を2つ建てないとまた遊牧地に戻ってしまう。
戦は1年で終わり、兵をほとんど失うことなくコルスンの獲得に成功。戦に勝ったことでユリエフの司祭は戦上手の名声を得、彼もまたフセヴォロドを見直すようになった。
世継ぎの誕生
この戦の間にドブラヴァは男児を出産した。デミドと名付けられたこの子供は、ドブラヴァとフセヴォロドが形だけの夫婦ではないということを示しているようであり、世継ぎの誕生に沸き返るキエフの住民だけでなく、評議員たちもこの夫婦の和合を喜んだ。
フセヴォロドに実権が移りつつあるとはいえ、いまだ前大首長ドブラヴァを支持する住民は多い。フセヴォロドとドブラヴァが仲違いすることになれば、キエフの政権は弱体化するだろう。評議員たちはもはや以前の地位を回復することよりも、キエフの安定に思いを巡らせていた。
775年
ヴォルィニャーネ族の征服
敵兵力は900弱。そのままでは勝てるか怪しいところだが、イベントポップの300弱がいれば勝てそう。
フセヴォロドが大首長となって7年目、戦士長の目覚ましい働きによってフセヴォロドの下に300名弱の戦士が集った。フセヴォロドはこれにキエフ戦士団1,000を加えて、西隣のヴォルィニャーネ族を征服しようと決めた。
ヴォルィニャーネ族の兵力はおよそ900弱。戦士長をはじめとして屈強な男たちが揃っているとしても、1.3倍の兵力差をひっくり返すことはできないであろう。
フセヴォロドは、この戦を天才ツェンイェに託した。ツェンイェはマジャル戦後に宰相の職をユリエフの司祭に譲っており、フセヴォロドはここでツェンイェの名誉を回復させようとしたのだった。
勝利してVolhynia大首長の称号を獲得。だが領有州を取れたわけではないので、相手方に4州がそのまま残る。不安も残る……。
戦はおよそ1年で終わった。ヴォルィニャーネ族の戦士たちは敗れ、ヴォルィニャーネ族の首長・ブリアチスラフはフセヴォロドに臣従した。だが、ブリアチスラフとヴォルィニャーネ族の土地を奪ったわけではない。放置すればいずれ反旗を翻すこともあろう。
しかし、キエフとヴォルィニャーネ族の大首長を兼ねることになった今、ヴォルィニャーネ族の勢力を削ぐよりも先にフセヴォロドがなすべきは、ルーシの地すべてを束ねる王となることであった。
次回:キエフ年代記 第2回
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