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「Crusader Kings II」プレイリポート:ブリタニア帝国建国記 第7回

その他

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「Crusader Kings II」プレイリポート:ブリタニア帝国建国記 第7回は、Edernの孫Elystanの治世。即位時12歳の少年王です。

前回:ブリタニア帝国建国記 第6回

2015/11/5 カテゴリーを変更。

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即位後

王に即位したElystanはまだ未成年のため、母Erelievaが摂政となりました。が、この母親もなかなか……。

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“Unfaithful”の称号付き。未婚の母になる娘のEfyrddylといい、いったいこの母娘はどういうことなのでしょう。そして、Elystanは本当にBrwynの息子なのか……。

さて、Elystanの即位によって、既に成人していた姉Efyrddylが後継者となりましたので、一応女系結婚させておくことにしましょう。何かの拍子にElystanが謀殺されないとも言えませんし……。

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婿に迎えたのは南ドイツのAlemanna公爵Gebhardの次男Wido。管理能力はそこそこ、軍事能力抜群のデキる人。

それから、Elystanは即位時はCornwall公爵・伯爵位も持っていたのですが、領地上限を超えてしまいますし、本国からも離れていて不便です。なので、Cornwallは誰かに与えてしまうことにします。

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Cornwall伯爵領をいとこのGwrgeneuに。

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Cornwall公爵位は、前王Edernの妹Aeronwen(つまり大叔母)の息子のDevon伯爵Ceredigに与えます。このCeredigもまた家系図をややこしくする人ですね……。

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しばらくして、姉Efyrddylが男の子を出産。よく見てみると、Ceredig公爵との子との表示が。犯人はお前かーッ!

 

前王Edernの始めたSomerset、Dorsetを求める戦争は、Elystanに両州の請求権が相続されなかったため、決着がつかないまま終了してしまいました。また請求権の捏造から始めることにしましょう。

農民反乱

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861年1月、Cornwallでウェールズ人に支配されることをよしとしない農民たちが蜂起し、反乱が勃発。

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直轄軍のみでは足りなかったので、封臣からも兵を出させて反乱軍鎮圧に向かい、何とか勝利。兵力では優勢でしたが、損害はこちらの方が上でした。

鎮圧軍に敗れた反乱軍は命からがらコーンウォール半島を逃れますが、鎮圧軍の激しい追撃によって数を減らし続け、Gloucesterで遂に全滅。反乱軍の指導者は処刑されました。

Elystanの成人

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教育は「偉大なる神学者」。能力も充分。偉大なる女王であった曾祖母Denisを見るようです。

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妻には、Upper Burgundy公爵”淫蕩公”Hugh4世の庶子Melisandeを迎えました。類まれなる高い管理能力と若さが決め手。

トーナメント開催

成人したばかりのElystanですが、既に充分高い威信点と資金を持っていたため、トーナメントを開催。これには王自身も参加するのですが……。

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今回のトーナメントでは、見事Elystan王が優勝。2位は元帥Audelahis、3位は宰相Edwyn。この宰相は、先々代の女王DenisにBrythoniad王位を奪われたGwriadの息子でした。

子供たちの誕生

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865年7月、第一子Ysbailが誕生。継承権第1位は姉EfyrddylからYsbailに移ります。

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更に869年12月、長男Padarn誕生。後継者が無事に生まれて一安心。

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873年12月、次男Brwyn誕生。この8年間、子供が生まれた以外に何もないという平穏ぶり。

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875年5月、三男Dumngual誕生。

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877年12月、四男Edern誕生。

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881年1月、五男Rheinallt誕生。先王Edernの子供たちが次々と亡くなった頃にはどうなることかと思いましたが、もう安泰と言えましょう。

領土開拓

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四男が生まれた頃、大枚をはたいて開発していた首都州Gwyneddに新しい城Degannwyが完成。

前後して首府Aberffrawも次々と新しい建造物を建設しています。特に、海上機動ができると素早く軍を投入できるため、城内造船所(Castle Shipyard)を優先的に建設します。もちろん最優先なのは、収入が増える城下町(Castle Town)と城壁(Castle Wall)ですが……。

コーンウォール回廊打通

885年7月、宰相がWessex小王位に対する請求権を捏造するというファインプレーを見せたため、Wessex小王Canraedに宣戦布告。遂にコーンウォール回廊貫通が見えてきました。

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およそ2年後の887年5月、危なげなく勝利。

こんなことを言うのはなんですが、EdernとElystanの代で国土開発が相当進んだため、急速に兵力が増え、軍を支える経済も相当豊かになりました。最近の戦争には、もはや先々代の女王Denisの頃のような危うさはもうありません。統治者としてはこれはとてもありがたいことですが、ゲームとしてはいまいち盛り上がりません(だからと言ってわざと負けたり困難な状況を作ったりはしないつもりです)。

無事に戦争に勝ちはしましたが、請求権、正確には強い請求権(保有者が誰であろうと戦争の大義名分となる)を持っていたのはWessex小王位だけでしたので、Somerset、Dorset各伯爵領には以前の伯爵がそのまま残ります。そこで、Elystanの持っていた両州への弱い請求権(未成年か女性が保有者の時だけ戦争の大義名分にできる)を使って、両州を各領主から取り上げます。

以前、男爵領を取り上げた時と同様、反乱を起こされる可能性も充分ありますが、国王の兵力が圧倒的だからか、あっさりと承諾。両州を直轄領とすることに成功しました。息子たちが成人した際に封じていくことにします。

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こうして、先代からの国家目標であった、ウェールズとコーンウォールを結ぶ回廊が完成。領土はひとつにつながりました。

今後は、まずコーンウォール回廊が属する公爵領、すなわちHwicce公爵領の未回収地OxfordとWessex公爵領の未回収地Wessexの獲得を目指すことにしましょう。更にその先は、ウェールズの東隣、Merciaの征服にかかる予定です。

ゲルマン人どもを北海に追い落とし、ブリテン島全土を我らケルトの民の手に取り戻すのはまだ先のことです。ですが、奪還事業は着実に前進しています!

長男Padarnの成人

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Wessexとの戦争が始まってまもなく、長男Padarnが成人。教育はもはや伝統の「偉大なる神学者」。父には少し劣りますが、能力も充分でしょう。

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妻には、前Thomond首長Ailbeの一人娘Dunlaithを選びました。

この辺りで、「最近はすっかりケルト人の顔じゃなくなってきたな……」と気になり始めました。ゲーム中に表示されるグラフィックではケルト人の女性が最もかわいいと思っているので、ちょっと残念。なるべくケルト顔の嫁や婿をもらって、ケルト顔の一族を増やしていきたいところです。

Merciaとの戦争

892年1月、宰相によってOxfordへの請求権を獲得、これを大義名分として東の大国Merciaに宣戦を布告します。

Merciaは小王国ではありますが、ブリテン島でBrythoniad王国に次ぐ広大な領土を持つ大国です。小王の直轄軍だけでおよそ3,000。開戦劈頭、軍の集結中にBrythoniad軍の急襲を受けて数百の兵を失ったとはいえ、封臣の軍勢と合わせて3,700の兵を集め、Mercia中部のLeicesterでBrythoniad軍を待ち受けます。

Brythoniad軍は軍を2つに分割し、一方は集結中のMercia軍を攻撃、もう一方は戦争に乗じてやってきた憎きヴァイキングおよそ800の撃退に向かいます。ヴァイキング撃退後、軍はウェールズ東端のPengwernで合流、Mercia軍の待ち受けるLeicesterに進撃します。

そして、開戦から3ヶ月後の892年4月、両軍はLeicesterの都市Nottinghamで激突。

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勝利。しかし、戦闘初期は押され気味で見ていてとてもヒヤヒヤしました。更にこの戦いの最中に、首都州Gwyneddへヴァイキングが来襲。本当にうっとうしい奴らです。

Nottinghamの戦いで敗れたMercia軍は幸いにも西に退却したため、これを追撃。Chesterまで追って壊滅させた後、今度は東に逃亡したため、ここでMercia軍の追撃を中止し、本国を略奪して回るヴァイキングどもを追い払いに向かいます。

残念ながらヴァイキングどもを叩き潰すことはできませんでしたが、追い払うことはできたため、再び東に進軍。Mercia軍の残党を全滅させます。

ですが、再びここでヴァイキング襲来。しかも領土の南北に同時にやってきました。ここでBrythoniad軍はヴァイキングへの対応に追われます。

ところがMercia側にも突然の変化が。

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MerciaからYork公爵が突如として分離独立してしまったのでした。戦争状態はOxfordを領有しているYork公爵と継続となりました。が、まもなくYork公爵がMerciaを併合、旧Mercia領をYork公爵として支配することになります。更に数ヶ月後、今度はMercia小王が分離独立。Mercia情勢は複雑怪奇です。

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894年1月、2年に渡る戦争の末、Oxfordを獲得。戦争相手のMerciaよりもヴァイキングと戦うことの多い戦争でした。


というところで今回はここまで。今回は切りどころが中途半端になってしまったので、長くなりました。次回もElystanの治世です。

次回:ブリタニア帝国建国記 第8回

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