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「Crusader Kings II」プレイリポート:ブリタニア帝国建国記 第13回

その他

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「Crusader Kings II」プレイリポート:ブリタニア帝国建国記 第13回は、第11回、第12回から引き続きBrwynの息子Godwynの治世。

前回:ブリタニア帝国建国記 第12回

2015/11/5 カテゴリーを変更。

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Essex公爵領の平定

Cornwall伯爵領への請求権捏造がRheged公爵領の平定後も成功しないため、今度はEssex公爵領の未回収地Essexを平らげることにします。

こちらも、Northumbriaとの戦争中に請求権を捏造しておいたものです。

966年9月、宣戦布告。兵力差から言って負けようもない戦いですが、敵野戦軍を撃破した際になんとEssex伯爵を捕縛することに成功します。

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敵の主君を捕らえると戦勝点が自動的に100%になるため、あっさり勝利。967年1月、Essex伯爵領を獲得しました。

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Essex伯爵には甥のRhigeneuを封じ、Essex女公爵の配下とします。

これでEssex公爵領の平定も完了。Lloegyr王国領を構成する9つの公爵領のうち、5つまでを平定しました。残るはブリテン島南東端のKent公爵領、ブリテン島最東部のEast Anglia、その北のYork、そしてLloegyr最北端のNorthumbriaです。

大修道院への援助

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969年1月、フランス中部の大修道院Clunyの修道士が来訪。寄付をしてほしいとのお願いにやってきたようです。

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ちなみにClunyはこの辺り。

特にお金に困っているわけでもないですし、快く寄付をしてあげましょう。特に何かイベントがあるわけでもなく、ただ「金くれ」と来るだけのイベントの模様。

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……でもアンタのとこ、金めっちゃあるじゃん。金5,000って。

Warwickの農民反乱

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971年1月、Warwickで農民反乱が勃発。このプロヴィンスにはいまだにAnglo-Saxonの文化が根強いため、Welshの文化に対して反感を抱いたのでしょう。

まあ、3,500程度の軍勢など、今のBrythoniad王にとっては恐るるに足りません。

反乱軍は2月には鎮圧され、首謀者は処刑されました。

Cornwall始末

あっさり鎮圧されてしまった農民反乱ですが、この戦いの最中に宰相がCornwallの請求権捏造に成功。早速Cornwallを「正常な」状態に戻すことにしましょう。

Cornwallを「不当に」領有するGlamorgan伯爵LlyrはDeheubarth公爵配下なので、まずDeheubarth公爵Adran3世にお手紙。反乱に備えて直轄軍を召集しておきます。

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無事に要求を飲んでくれました。次にGlamorgan伯爵LlyrにCornwallを引き渡すよう要求すると……。

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こちらも無事に引き渡してくれました。Glamorgan伯爵とGodwynが友人同士だったのも大きいのかもしれません。

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新たなCornwall伯爵には、あと2年で成人する五男Gwrgiを封じ、Cornwall公爵の配下とします。

直臣となっていたGlamorgan伯爵もDeheubarth公爵配下に戻し、Cornwallの一件はつつがなく完了しました。Deheubarth公爵とGlamorgan伯爵のように素直に言うことを聞いてくれれば、Northamptonの件ももっとラクに済んだのですが……。

 

Cornwallの始末は完了しましたが、Glamorgan伯爵についてまた同様の問題が起こる可能性が。

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Glamorgan伯爵は跡を継ぐべき息子たちが次々とカラトラバ騎士団に行ってしまったため、後継者は孫のLlyrとなっているのですが……

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妻がWorcester女伯爵であるため、このLlyrはGlamorganとWorcesterの両方を継承する可能性が高いのです。

とはいえ、今から何かできることもありませんし、Llyrが2州を継承したらそのときはまた1州を剥奪すればよいでしょう。面倒といえば面倒ですけど。

妻Sionedの投獄

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971年10月、Godwynは危うく妻の手の者にかかって暗殺されかかります。当然、首謀者の妻Sionedを投獄。Brythoniad王国から追放します。離婚してもよかったのですが、もうGodwynも50歳を超え、子供も庶子を含めれば12人(死亡した者も含めれば13人)いるので、もう妻はいいでしょう。

GodwynにはArianrhodという愛人がおり、3人の子供をもうけたのですが、彼らを認知したことに大変ご立腹だった模様。身から出た錆と言えましょう。

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妻を追放したので、愛人と田舎でゆっくりしようとするGodwyn。

Essex女公爵のEast Anglia征伐

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973年1月、Essex女公爵NonがSuffolkの領有権を主張してEast Angliaへ宣戦布告。

これで領地を取ってこられるとそれはそれで迷惑なのですが、王権がまだHighなので、封臣の戦争を止めることができません。

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976年2月、Essex女公爵とEast Angliaの戦争が終わり、請求権を持っていたらしいEssex伯爵RhigeneuがSuffolkを獲得。

Surrey獲得

Essex公爵領を平定し、Cornwallの問題も解決したため、次なる目標としてKent公爵領の攻略を進めていきます。まずはSurreyを獲得しましょう。というわけで、974年10月、宣戦布告。

もはやKent公爵などBrythoniadの敵ではありません。当然のように勝利し、975年8月、Surreyを獲得します。

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Surrey伯爵には、庶子であった六男Argadを嫡出子化した上で封じます。

2人目の枢機卿

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975年12月、Warwick伯爵配下のCoventry司教Teiloが枢機卿に任命されます。Exceter司教Brychanに続き、Brythoniad王国から2人目の枢機卿選出となりました。

妻の死と再婚

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977年6月、Mann(マン島)に逃亡していた妻Sionedが死去したため、Godwynは新たにAuxerre伯爵Hildebertの四女Agnesを妻に迎えます。

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Auxerre伯爵Hildebertは、38歳の時点で子供が32人いるという、ちょっとどうかしているレベルの人物。ゲームシステムが許せば、度を越えた子だくさんとして有名なアウグスト2世レベルまでいけそうです。

Leicesterの農民反乱

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978年11月、今度はLeicesterで反乱が勃発。6,500とはなかなかの戦力ですが、Brythoniad軍に打ち勝てるほどではありません。

979年2月、数が多いので被害も相当数出ましたが、反乱は鎮圧されました。

王太子Brwynの死

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Leicesterで反乱が勃発したちょうどその頃、王太子Brwynが健康を害して死去します。新たに王太孫となったのはBrwynの長男Godwyn。あまり優秀とは言えません。

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前年に最初の妻Bonneが産褥死したため、新たにスコットランドのSt Kentigern司教Branの長女Eadhildを妻に迎えていました。

Essex女公爵のKent征伐

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980年12月、Essex女公爵は、今度はKent小王に宣戦布告。やりたい放題です。

小Godwynの息子

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981年3月、小Godwyn(王太孫のGodwyn)に初の男の子Brwynが誕生。

ここ数代は、大Godwyn(当代の王のGodwyn)の父は大Brwyn、その息子が大Godwyn、その息子が小Brwyn、さらにその息子がまたBrwynと、交互に名前が出てくるというややこしい状態になっていますね……。


というところで今回はここまで。3回にわたってGodwyn王の治世を書いてきましたが、第14回目もBrwynの息子Godwynの治世。長いですね。

次回:ブリタニア帝国建国記 第14回

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