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「Crusader Kings II」プレイリポート:ブリタニア帝国建国記 第8回

その他

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「Crusader Kings II」プレイリポート:ブリタニア帝国建国記 第8回は、第7回に引き続き、Edernの孫Elystanの治世。既に即位から30年以上が経過しました。

前回:ブリタニア帝国建国記 第7回

2015/11/5 カテゴリーを変更。

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世界情勢

前回の戦争でYork公爵から獲得したOxfordは四男Edernに与え、EdernをHwicce公爵(Elystanの年下の叔父)の配下とします。

さて、次はWessex公爵領の未回収地Wessexを獲得するためにKent小王と戦争する予定ですが、ゲーム開始から100年以上が経ちましたので、ここらで一度世界情勢を見てみることにしましょう。

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まずは北西ヨーロッパの様子。スカンディナヴィアではスウェーデンの前身Sviþjod、東欧ではLithuania、そしてLithuaniaを囲むようにして三日月形の領土を持つPolandが、更に東に行くと現在のウクライナ近辺では遊牧国家Khazariaが蟠踞しています。

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次に地中海近辺の様子。ブリテン島で小勢力が争っている間に、ドーバー海峡の対岸ではWest Franciaが北フランスを統一。おそらく、イベリア半島から押し寄せるUmayyad(後ウマイヤ朝)を抑え込みにかかっていると思われます。イタリア半島ではLombardから発展したItalyが勢力を南イタリアに拡大。ゲーム開始時のプレイキャラCynanの嫁はLombard王家出身でしたね。

特筆すべきは、東はアフガニスタンから西は北アフリカまでの広大な勢力を誇るAbbasid。カリフ位も一貫してAbbasid(アッバス家)が保有し、国内も安定しています。十字軍の時代になれば、キリスト教国の強大な敵として立ちはだかってくるでしょう(我がBrythoniad王国はヨーロッパの西の果てですから、あまり関係はありませんが)。

その他、インドは未だに群雄割拠の時代、西アフリカはMaliとSonghayが並立、エチオピアも4か国が相争う状態。キリスト教の守護者ビザンツ帝国は、一貫してIsauros家が皇帝位を保持してはいるものの、Abbasidにアルメニアを奪われています。先行きは不安ですね……。

Wessexの獲得

894年1月、Wessex公爵領の未回収地Wessexの獲得のため、Kent小王に宣戦布告。兵力差は明らかなので、Kent小王が傭兵を雇ったところでまったく問題なし。危なげなく戦争を進めていきます。

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896年9月、予定通り戦争に勝利。Wessex伯爵領を獲得します。Wessex伯爵領は、五男が成人し次第与える予定。

長男の死

戦争開始からちょうど1年経った895年1月、長男Padarnが25歳で死去。

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代わりに王太子の座に着いたのは、次男のWessex公Brwyn。外交能力は抜群ですが、それ以外の能力はお寒いかぎり。将来が心配です。

大学建設

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Wessexも獲得し、政権をより強固なものとしたElystanは、あまりある財力を投じて大学の建設に乗り出します。建設予定地はお膝元の都市Caernafon。

大学建設により、毎月の経済技術点が増加します。が、正直なところ800以上もの大金を投じて建設する価値があるかと言われると……。まあこれもロマンということで。

最古の近代的総合大学は1088年設立のボローニャ大学(イタリア)だそうですが、Brythoniad王のCaernafon大学はそれより180年近く早い設立となる予定です。

ヴァイキングの侵略とMerciaへの進攻

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897年には既に次の攻撃目標であるMercia小王位の請求権捏造も済んでいたのですが、なかなか戦争に踏み切ることはできませんでした。というのは、この頃ヴァイキングが月に2回程度というものすごい頻度で襲撃を繰り返してきたからで、王の直轄軍はヴァイキングへの対応に追いまくられました。

900年頃にはヴァイキングの襲来が低調になりましたが、MerciaからOxfordを獲得した前回の戦争の停戦協定が904年まで続くことが明らかになり、それまで座して機会を待つことに。

すると901年頃からMerciaは再び内戦に突入。906年になって内戦に勝利したWarwick伯爵がMercia小王位を奪取し、Merciaは再びMerciaとYorkに分裂します。

 

906年9月、Brythoniad王国は分裂したMercia小王国に宣戦布告。この時、ElystanはMercia小王位とそのde jure領すべての請求権を持っていました。

Brythoniad軍はMercia軍本隊とMerciaの傭兵隊を撃破した後、首都州Warwickの攻略にかかります。が、ここでBrythoniadの首都州Gwyneddへヴァイキング1,100が襲来。軍を二分し、およそ1,500をヴァイキング撃退に向かわせますが、なんと敗退。

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見ると軍事能力20の化け物が略奪軍を率いています。包囲戦の都合で本隊を動かせないので、撃退のために傭兵も雇いますが、こちらも敗北。非常に面倒な事態になりました。

結局その後ヴァイキングは退却していきましたが、彼らはこの後再び現れます。

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そんなことをやっている間にBrythoniad軍本隊はMerciaの諸州を占領して、910年4月、無事に勝利。しかし勝利と同時に再び件のヴァイキングが首都州Gwyneddに現れます。今度は本隊を以って迎撃に向かいますが、あと一歩のところで脱出されてしまいました。

このヴァイキングですが、後にCornwallに襲撃にやってきた時に、海上機動で送り込まれたElystan王直率の軍によって捕捉・撃滅されたことを書き添えておきます。ケルトの民はやられっぱなしのままでいることはないのです!

 

戦勝によってMercia小王位とMercia諸州を獲得、それから小王を称していたWerestanはDerby伯爵としてBrythoniad王国に臣従しました。もちろん、Anglo-Saxon人の領主など認められるはずがありませんので、いずれ称号を剥奪する予定です。

庶子誕生

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戦争中の907年12月、独身だった女官Mairとの間に男の子が誕生。Elystanは自分の子であることを認知しました。

生まれた段階では認知に留まったのですが、Merciaを巡る戦争に勝ってMercia諸州を獲得すると、そこに封ずる親族が不足したため、やむなく嫡出子化。Mercia公爵領の一州Warwickに封じます。

Elystanの死

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917年3月、Brythoniad王Elystanが衰弱死。享年69歳。57年もの長い期間在位した王で、彼の治世で領土は大きく広がり、国土は驚くほど豊かになりました。

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跡を継いでBrythoniad王となったのは、次男Brwyn。現在43歳ですが、子供は娘一人。

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そしてその一人娘は”のろま(Slow)”持ちのこんなありさま。結婚相手こそ一族の者ですが、夫の在籍するDeheubarth公爵の宮廷に行ってしまっています。この娘に王位が渡る頃に、王国は大きな試練の時を迎えるのかもしれません……。


というところで今回はここまで。次回はElystanの次男Brwynの治世。

次回:ブリタニア帝国建国記 第9回

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