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「Software Inc.」プレイ日記 第14回

Software Inc.

1980年以降の世界でソフトウェア開発会社を経営するシミュレーションゲーム「Software Inc.」を難易度Very Hardで遊ぶプレイ日記第14回。今回は新たなソフトウェアの開発を始めます。

前回:プレイ日記 第13回

第1回はこちら。

本プレイ日記の一覧はこちら。


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前回のあらすじ

前回は1983年5月から11月まで進め、電子機器製造事業に進出してその資金繰りに100万ドルを借り入れているという状態。もはや現金収支だけ見ていても会社が儲かっているのか損しているのかよくわからなくなってきていますが、おそらく儲かっているはずです。

1983年12月

ギリギリの資金繰り

製造した電子機器の2回目の出荷。ヘリによる出荷は意外と時間がかかるため、資金繰りに失敗して-2万ドル(入金までに最大-4万ドルまで)となっていますが、取引先に頭を下げてちょっとだけ待ってもらえたのか、倒産アラートは出ませんでした。

月末の諸々の支払いに加えて、利息をケチって100万ドルの借入期間を6か月にしたことで1か月ごとの返済額が17万ドル以上となっているため、一気に資金繰りが苦しくなったものと思われます。タイミングが悪いと黒字倒産しそうです……。

1983年の業績

年間の現金収支は借入を含めて106万ドルの収入超過。創業4年目にして初めてまともな現金増となりました。「請求」と「契約」の行が前年までと比べて桁違いに増えていますが、これは電子機器製造契約によるものです。本社ビル・工場の建設費で400万ドルの支出がある中で、借入金を除くと40万ドルの収入超過というのは悪くないように思えます。

1983年分の業績は以下のとおり。

  • (1982年→83年)
  • 売上高:7,407→18,751千ドル(前年比+153%)
  • 営業費用:5,323→17,537千ドル
  • 減価償却費:50→968千ドル
  • 投資利益:0→583千ドル
  • 支払利息:9→106千ドル
  • 税引前当期純利益:2,026→724千ドル(-64%)

83年は本社ビル・工場の建設で営業費用・減価償却費が大きく増加しているため、利益が圧迫されて-64%と大幅な減益となりました。実を言えば83年は赤字決算かなと思っていたので、黒字で終えることができたことでよしとします。

これまでの月間収支の推移。83年12月は電子機器製造契約で月に787万ドルの収入が立っている一方、765万の請求(製造費用)も計上されており、グラフが非常に読みづらくなってしまっています。見づらくなってしまっていますが、取引収入はピークからは減少しており、電子機器製造事業による利益はこの減少分を穴埋めして少し資金が増える程度で、グラフから受ける印象ほど大きなものではありません。

その他の統計。現在の従業員は71名で、82年末の56名から15名の増加となっています。

1984年1月

火災検査不合格

自社ビルを持ち、かつ家財保険に加入していると、年始に火災検査を受ける必要があります。今回は自社ビル建設後初の火災検査でしたが、火災警報器やスプリンクラーが適切に設置されていないと指摘され、5,000ドルの罰金を科されてしまいました。

緑が合格、赤が警報器なしの部屋。工場も警報器がないと指摘されています。指摘事項にすべて対応し、保険画面からもう一度火災検査官を呼びます。

翌週(翌日)、再び火災検査が行われ、今回は無事に合格。これで家財保険の保障を今後も受けられるようになります。

1984年2月

ソフトウェアとハードウェアのヘリポート同時利用

ソフトウェアとハードウェアを同時に生産する時期があったので、ヘリポートを同時に使用できるか確認してみました。結論としては同時に利用することはできるようですが、ソフトウェア印刷の保管数(印刷はされたが出荷前の状態)とヘリポートにおける保管数が54,000本、ちょうどプリンターの印刷1回分ズレています。詳しい理由は不明ですが、とりあえず同時に使うことはできるようです。

1984年6月

経理の教育

最初に雇った経理のキャサリン・ラミレスが教育を受けられるようになったため、Accountingスキル★2の教育を受けさせます。Accountingスキルが★2になると、節税と銀行融資の申し込みタスクが行えるようになります。

銀行融資は最大1,000万ドル、期間20年と、多額の資金を長期間借り入れることができますが、クイックローンとは異なり、申し込みにタスクをこなす必要があります。

自社ソフトウェアの印刷

自社開発オーディオツールのために知的所有権を購入した「EQ Pro 2」がコツコツと売れ続け、在庫が100本を下回ったため、自社工場のプリンターで印刷することに。自社のソフトウェア画面の「印刷を開始」を選択すると自社で所有するプリンターで自社ソフトウェアの印刷を行えます(「コピーを注文」は他社に発注)。

1984年7月

福利厚生の改善

ふと気づいたのですが、社歴4年目(つまり創業1年目からいる)の従業員の一部の満足度があまり高くないようです。もちろん個人の特性の問題(上の画像では「具合が悪い」)などもあるのですが、福利厚生による満足度が低いのも一因でしょう。

現在の福利厚生はこのとおり。年金・保険・退職金・有給休暇すべてゼロで休暇が1か月あるだけの、第1回で決めた最低限の福利厚生しかありません。4年間当社で頑張ってくれたのにこの待遇はさすがにひどいので、もうちょっとなんとかしましょう。

4年目の従業員には50%の有給休暇(日本の有給休暇のように一定の日数がもらえるというわけではなく、本作では病欠したときにも給与が発生するという処理のようです)を与えるように福利厚生を変更。ついでに2年目以降の従業員には25%の有給休暇を与えるように変更します。

あまり喜んではもらえない様子ですが、今後は2年刻みで福利厚生を徐々に改善していくという方針でやっていきたいと思います。

強盗

第2週(2日目)、深夜に強盗がやってきましたが……。

監視カメラに引っかかって警報が鳴り、強盗たちは何も盗らずに退散していきました。セキュリティに金をかけた甲斐があります。

幻視者のデザイナー

第1設計チームでは相変わらず契約作業を通じてデザイナーの創造性確定を行っていますが、OSのリードデザイナースキルを持つデザイナーのシンディ・ハドソンが創造性97%の「幻視者」であることが判明。当社でOSを開発する際にはぜひリードデザイナーをやってもらいましょう。

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1984年12月

「EQ Mix」設計完了

12月第1週(1日目)、遂に自社開発オーディオツール「EQ Mix」の設計作業バージョン4が完了。バージョン3完了が83年5月第2週だったので、バージョン4にはおよそ19か月(18か月3週)もの期間がかかっています。バージョン2までは6か月、バージョン3は8か月ほどだったので、バージョン3までの設計期間と同程度の期間がバージョン4だけでかかったことになります。設計期間全体では81年9月末から3年2か月ほどとなる計算。

長かった設計期間を終えたことでつい「開発」ボタンを押したくなりますが、その前に発売日の発表と最初のプレスリリースを出します。発売日は第11回にも書いたとおり、難易度Very Hardでは「発売日前のマーケティングブーストの期間」が1年4か月と決まっているため、現時点から1年4か月以内に設定します。今回は1986年3月としました。発売日を延期すると発売前のマーケティングで獲得するフォロワー(発売時に購入してくれるであろう見込み顧客)が一気に減少しますが、前倒す分にはペナルティはないので、発売日は可能な限り遅らせるのが得策です。

続いて、82年12月(第12回)には既に完成していた文書と写真のプレスリリースを発表します。

これで即座に13人のフォロワーを獲得。いかにも少ないですが、オーディオツール市場で当社はまったくの新参者なので、致し方ありません。

プレスリリースは業界紙にも掲載されます。

獲得したフォロワーを失わないようにするため、誇大広告も行うことにします。

これで「EQ Mix」の設計フェーズは完了。「開発」ボタンを押してアルファフェーズに移行します。アルファフェーズ終了時にもう一度プレスリリースを出すため、また文書と写真のプレスリリースを準備します。

2Dエディターの仕様決定

「EQ Mix」の設計完了でEQ Mix設計チームの手が空いたので、続いてほぼ同程度の規模・技術力で開発できる2Dエディターを自社開発しようと思います。2Dエディターのリードデザイナースキルと十分な創造性を持つデニス・ポラードをリードデザイナーとして、次は2Dエディターの仕様を考えていきます。

今回も続編機能を使いたいので、前作とする2Dエディターの知的所有権を購入します。現在発売されている2Dエディターは6シリーズしかなく、そのうち3つは売買できず、残り3つも機能の組み合わせがあまりよくなかったので、もっとも安価な「Art Suite」シリーズを購入します。わずか69,000ドルほど。

搭載機能はこのとおり。フレームワークとの組み合わせが悪く、基本機能以外で両方の速度ボーナスを得られる機能が「ダイナミックブラシ」しかありませんが、仕方ありません。プログラマー・アーティストに技術がなくても開発できるようにするため、今回も★1の機能のみを選択しています。

開発会社が替わったのに「Art Suite」の名前を引き継ぐのもなんなので、「Art Canvas」という名称に変更。

概要はこのとおり。今回も発売日を自分で決めたいためにパブリッシャーは使わず、自社で発売することにします。

なお、推奨デザイナー数は3名となっているので、7名在籍しているEQ Mix設計チームでは人が多すぎます。1名外して別のチームを編成しましょう。

RTSの仕様決定

余ったデザイナーの仕事について契約作業や取引などいろいろ検討しましたが、システム★2の機能を使えればゲームのRTSを自社開発できそうなので、EQ Mix設計チームでゲームのリードデザイナースキルを持つエマーソン・ローレンスをリードデザイナーとするRTSを自社開発することにしました。

「Art Canvas」は★1の機能のみなので、EQ Mix設計チームはRTSの開発に回し、「Art Canvas」はリードデザイナーのデニス・ポラードを新チームに移籍させ、新たにデザイナーを雇用することとします。

前作とするのは「CityLegion」シリーズ。これもフレームワークとあまり一致するわけではありませんが、古いゲームなので知的所有権が10万ドル程度と安価です。

タイトルは別会社による続編ということで「CityLegion Imperium」と変更。

概要はこのとおり。こちらもパブリッシャーは使いません。

1982年の技術でオープンワールドのRTSとはいったいどういうものなのか、想像もつきません。「CityLegion」ですから、都市を守るタワーディフェンス系か、それともギャングの抗争的なものなのか……。

1984年の業績

1984年は借入金含めて216万ドルの収入超過。ただし在庫に多額の現金を必要とする電子機器製造事業を行っているため、もはや現金収支だけでは業績の実態がつかみにくくなっています。

1984年分の業績は以下のとおり。

  • (1983年→84年)
  • 売上高:18,751→104,570千ドル(前年比+458%)
  • 営業費用:17,537→100,613千ドル
  • 減価償却費:968→522千ドル
  • 投資利益:583千ドル→なし
  • 支払利息:106→149千ドル
  • 税引前当期純利益:724→3,288千ドル(+354%)

こちらもきちんと利益が計算されているのかちょっと怪しいですが、電子機器製造事業で売上と営業費用が大幅に増加した一方できちんと利益は出ており、税引前当期純利益は300万ドル台とV字回復に成功しています。

これまでの月間収支の推移。電子機器製造事業関連の勘定(契約・請求)が大きすぎてそれ以外の情報が潰れてしまうため、この2つを除外したものも掲載しておきます。

取引収入は12月末になって急にサービス業務(サポート・マーケティング)が増えたため、わずかですが上向き傾向。

その他の統計。現在の従業員は79名で、83年末の71名から8名の増加となっています。

最後のほうでサーバー帯域幅が急上昇していますが、これは「EQ Mix」がアルファフェーズに進んだことによるものです。

順調な推移

今回は1983年12月から84年12月の13か月間を進めてきましたが、電子機器製造事業がうまくいって順調な経営ができています。84年12月には当社初の自社開発ソフトウェアであるオーディオツール「EQ Mix」の設計が完了し、新たに2Dエディター「Art Canvas」、ゲームのRTS「CityLegion Imperium」の開発を開始するなど、ソフトウェア事業で大きな動きがあった回となりました。


もう取り上げる事柄も減ってきて、プレイ日記の進みがずいぶん早くなってきました。他に特に取り上げたいこととしては他社の買収がありますが、現在のバージョンでは以前ほど同業他社が倒産しなくなったため、買収を取り上げるのはまだ先になりそうです。

次回:プレイ日記 第15回

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コメント

  1. お疲れ様です。初代が信長の野望が1983年として…
    そもそもオープンワールドのRTSがどんなのか分からん!

    • ご覧いただきありがとうございます。
      > そもそもオープンワールドのRTSがどんなのか分からん!
      なんなんでしょうね、オープンワールドのRTS。CossacksとかAoEとかああいう系統なんでしょうか……?

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