「Crusader Kings III」開発日記#150が公開されていましたので、その内容をご紹介。今回は新たな開始日やメッセージ設定などについて。「Roads to Power」リリース前の開発日記です。
前回:開発日記#149――Administrative Government(その2)
開発日記
開発日記#150は、新たな開始日やメッセージ設定などについて。
- 新たな開始年として、なぜ1178年を選んだのか? 新たな開始日を追加する際に私たちが最初に検討するのは、その時点でプレイ可能な興味深い人物は誰かという点だ。しかしこれが唯一の検討事項というわけではなく、「Roads to Power」で導入される新システムと今後の拡張の機能を統合するためによい位置にあるかどうかも大きく影響している。
Call of the Empire
- ブックマーク「Call of the Empire」では、ビザンツ帝国が老齢の皇帝Manuel Komnenosの統治下で復活しつつあるが、彼のいとこAndronikosの亡霊がManuelの息子Alexiosの前に立ちはだかる。
- ビザンツ帝国は直近でセルジューク朝のスルタンKilij Arslan IIとの間で行われたミリオケファロンの戦いに敗れ、アナトリア内陸部奪還に失敗した。Kilij Arslan IIはそれまで戦時も平時も巧みに統治してきたが、11人以上も息子がいることは将来の安定にとってまずい兆候かもしれない。
- Georgia王Giorgi IIIの長女Tamar Bagratuniにとって1178年は、Orbeli familyの反乱を鎮圧した後、父親が彼女を後継者として正式に承認した年だ。
- ワラキアにはIoannes Kantakouzenosがいる。14世紀の同名のビザンツ皇帝は彼のいとこの子孫だ。
- ブルガリアのgovernorであるAlexios Palaiologosは後の皇帝Michael VIII Palaiologosの祖父だ。
- EpirusのAndronikos Angelosは皇帝Manuelのいとこであり、Alexios Komnenosの孫でもある。その息子には後の皇帝Alexios IIIとIsaakios II Angelosがいる。
Swords of Faith
- ブックマーク「Swords of Faith」の前に、十字軍の見直しは今回の拡張の構成要素ではないということを明らかにしておきたい。
- イェルサレム王国を統治するBaudouin IVの姉Sibyllaは、この年には夫がいない。史実ではSibyllaの息子で同名のBaudouinが後継者となり、その後にSibyllaが跡を継ぐ。ゲーム開始時にこの赤ん坊のBaudouinは父親の家系に入っているが、すぐにSibyllaとして彼にどちらの家を継がせるかを決めるイベントが起こる。
- Raimon de ToulouseはBaudouin IVの摂政だった人物で、Tripoli伯爵領の領主としてイェルサレム王国の将来と切っても切れない関係にある。
- アイユーブ朝の初代スルタンSalāh ad-Dīn Yusufは1187年にヒッティーンの戦いで十字軍に勝利し、イェルサレムを再征服したが、これはすぐに第三回十字軍につながった。
- ついでに、名前の構成を調整したことに触れたい。彼のSalāh ad-Dīnという敬称は、現在では接頭辞付きの異名となった。これまでこうした敬称の多くは個人名の構成要素として扱われ、継承される可能性があったため、正確さとより良い表現のために史実の異名として割り当て直した。
- ザンギー朝に仕えたMuzaffar ad-Dīn GökböriはHarranを治めているが、史実ではその後ザンギー朝を裏切ってSalāh ad-Dīnについた。
- Armenian Ciliciaの領主Roupen IIIは彼の弟Levonのために退位した。LevonはArmenian Ciliciaの最初の王として戴冠し、Metsagortsと呼ばれるようになった。
その他
- イングランド王Henry IIは息子たちの反乱教唆の咎で妻Eleanor of Aquitaineを投獄した。彼の息子たちの中には12世紀の競技会で活躍したHenry、Richard、Geoffrey、そして若きJohnがいた。
- この時代のフランスはEleanor of Aquitaineの前夫であるLouis VIIに治められており、彼の長女はシャンパーニュの領主Henri the Liberalに嫁いでシャンパーニュの大市の拡大に貢献した。南部ではRaimon of Toulouseの領地でCatharが定着し、やがてアルビジョワ十字軍につながる。
- 神聖ローマ皇帝Friedrich BarbarossaはSaxonyとBavariaのHeinrich the Lionと対立していた。帝国内では帝国とハンガリーの双方で高い地位に登りながら数世代で消滅してしまった一族の家長Berthold von Andechsに注目してほしい。
- 50年ほど前にAfonso the ConquerorはBattle of São Mamedeに勝利し、彼はその後ポルトガルの初代国王となった。現在、Afonsoは年老い、王国の統治を娘のTeresaに引き継いでいる。
- アラゴン王Alfons the Troubadourはピレネー山脈を越えて領土を拡大し、兄弟をプロヴァンスに据えたが、その兄弟はすぐに殺害されてしまった。カスティーリャ王Alfonso VIIIは後にラス・ナバス・デ・トロサの戦いでAlmohadの軍に勝利する。
- マップの別のところに目を移すと、史実では最後のセルジューク朝のスルタンTogrulはまだ子供で、権力はJahan Pahlavan Mohammedが握っている。
- セルジューク朝のすぐ東にはゴール朝があり、Muhammad of Ghorとその同名の兄が権力を二分している。ゴール朝と対立したPrithviraja III Chauhanは侵略者に対する抵抗で名声を得た。
- さらに東にはTemüjin Borjiginがいる。彼は間もなくチンギス・ハンと呼ばれるようになる。
メッセージ設定
- 要望の多かったプレイしやすさの改善であるメッセージ設定について触れよう。さまざまなインターフェースのメッセージを思うようにカスタマイズできるようになった。
- メッセージがフィルターグループに分類されるようになった。各グループをどのように表示するかはプレイヤー次第で、トースト(画面上部に表示されるバナーメッセージ)、フィード(画面右下の通知フィードに表示されるメッセージ)、ポップアップウィンドウ(新たに追加)、完全に無効に設定できる。ゲームの状態や行動の結果に関する情報を伝えるのに不可欠な特定のフィルターグループは無効にできない。
- ゲームが自動的に一時停止するかどうかをフィルターグループごとに設定することもできる。
封臣への指令
- 前2回の開発日記で封臣に命令を与えるというアイディアを取り上げたが、考えた結果、Administrativeの勢力を差別化するのに役立つと判断した。
- 封臣がプレイヤーを尊重していることを前提として、プレイヤーは封臣にDirectivesを与えることができる。DirectivesはキャラクターインタラクションメニューかMy Realmの「封臣」タブから与える。後者には現在のDirectivesが表示される。すべての政府種別が封臣にDirectivesを与えられる。画像では神聖ローマ皇帝がDirectivesを与えている。
- 命令に従わせるのはそれほど簡単ではない。crown authorityを高めたり、特定のライフスタイルを追求したり、彼らから高い評価を得たりしていなければならない。条件を満たさない場合、彼らはプレイヤーのDirectivesに従わなくなる。Directivesは継承されるため、封臣が死亡しても設定し直す必要はない。
- AdministrativeならDirectivesに従うのは仕事だ。封臣がプレイヤーの宿敵である場合のみDirectivesに従わなくなる。そうでないなら好きにDirectivesを与えられる。Administrativeはさらに「Improve Development」「Boost Men-at-Arms」「Recruit Men-at-Arms」の3つのDirectivesを利用でき、これはデフォルトのものより強力だ。
Choose a New Destinyの改善
- 以前の開発日記でChoose a New Destiny機能についてのフィードバックを集めたが、「ランダム」モードを追加するのが人気のようだった。プレイヤーが3人の選択肢に関心がないなら、運に決めてもらうこともできるようになった。
- 私たちは集められた人気のあるファンタジーを元にし、さらによいものを付け加えた。依然として一部の制限は適用される。例えば自分の家系であること、合理的な難易度であること(Extremely Hardは基本的にゲームオーバーとなる)などだ。
夏休み前のCK3開発日記は今回で終わり、次回は夏休みの後(8月上旬以降)になるとのこと。領地を持たない冒険者は夏休み明けの開発日記で取り上げられるようです。
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