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「Crusader Kings II」プレイリポート:ブリタニア帝国建国記 第16回

その他

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「Crusader Kings II」プレイリポート:ブリタニア帝国建国記 第16回はGodwyn2世の息子Brwyn2世の治世です。

前回:ブリタニア帝国建国記 第15回

2015/11/5 カテゴリーを変更。

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内乱

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1029年5月、Essex公爵から王権を低下させるよう脅迫の手紙が送られてきました。もちろん拒否。

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反乱はEssex公爵の他、Kent公爵、Mercia公爵も参加する大規模なものに発展。両軍ともに1万の軍勢を率いて、OxfordはAbingdonの地で激突します。

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ローマ人が去った後のブリテン島の歴史で最大の決戦となったであろうAbingdonの戦いは、Brythoniad軍の勝利に終わりました。反乱軍の残党は北に退却していったため、これを追撃。Derbyにて反乱軍を全滅させることに成功します。

1029年9月、Essex公爵の反乱を鎮圧。通常、反乱を起こした諸侯からは称号を剥奪することができるのですが、称号を剥奪しても新たな封臣を任命するのが面倒なので、身代金を取ってそのまま釈放することにします。

ただし、Kent公爵については、配下に2州領有しているSurrey伯爵がいるため、Surrey伯爵を直臣とします。後で請求権を捏造して、本来の領地でない所領を取り上げるとしましょう。

Rheged公爵のNorthumberland征服

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1031年5月、Rheged公爵はNorthumberlandへの聖戦を宣言。と言っても、未征服地は1州しか残っていません。

最近では、王はもっぱら国内問題の解決に取り組んでいるため、外征はヒマを持て余した公爵たちが行っています。今回のRheged公爵の外征にも、ほとんどの公爵たちが参戦しました。

国王急死

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1032年1月、Brwyn2世は腸チフスを発症。翌月、50歳の若さで急死してしまいました。わずか5年の治世でした。

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跡を継いだBrwyn2世の長男Godwyn3世はBrwyn2世より少しだけ優秀。子供も男子4人と断絶の心配はないのですが……。

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王太子になぜか”近親交配(Inbred)”がついているという状態。しかし、両親・祖父母を調べてみましたが、あまり近しい婚姻関係はありません。Brwynの母は何度かBrythoniad王家に血が入っている一族出身なので、もしかするとその関係で”近親交配”が発現したのかもしれません。

“近親交配”は跡継ぎについていると具合の悪い特徴なので、長男には跡を継ぐ前にキリストの御下に行ってもらうことになるかもしれません……。


というところで、今回はかなり短いですがここまで。第17回はBrwyn2世の息子Godwyn3世の治世。

次回:ブリタニア帝国建国記 第17回

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